もし今の“あなた”じゃなかったら?
正反対のあなたなら、何を選ぶと思う?
ちょっとだけ全部、入れ替えてみたらどうなるだろう?
これは、そんな問いからはじまる1週間のプレリュード。
「いつもの私」をそっと脇に置いて、“まだ会ってない私”で、暮らしてみる。
それでは、Symphony of Habits
第13楽章、開演です。🎭
Step 9. 「外食20年女、キッチンに立つ」
コロナ禍が、思いがけない転機をもたらしてくれました。
20年以上続いた夜型生活と外食中心の暮らしが、ある日を境に、驚くほど大きく変わったのです。
もちろん、クリエイターとしての本質は変わっていません。今も再び夜型に戻りつつありますが、以前の「午前4時就寝」だった生活から、「深夜2時には床につき、朝9時半には英会話レッスンで一日をスタートする」という流れが、私なりの“整い方”になりました。
いちばん大きな変化は、自炊を始めたことです。ほぼ毎日、自分でごはんを作るようになりました。
コロナ禍で外食が難しくなった時、ふと「自分で作ってみてはどうだろう?」と思ったのがきっかけです。それまでは、外食かテイクアウト一択の生活でしたから、自分でも驚くような変化でした。
料理ができないというより、「やったことがない」だけ。私はそう理解していました。
この機会に、長年使っていなかった鍋や調理器具を整理し、新しく包丁を買い換え、最初の一歩に選んだのが Oisixのミールキットでした。
一人暮らしなので、食材を余らせたくない。
レシピも見たくない。
できれば手順は明快にしておいてほしい——
そんな私にとって、Oisixは理想的な入り口でした。
最初に届いたのは「小松菜、にんじん、えのき、そぼろ」のビビンバでした。
きのこは洗わないということさえ知らなかった私でも、手順通りに作れば、ちゃんとおいしくなる。その感動が、第一歩を踏み出させてくれました。
しばらくはOisixで料理の“リズム”に慣れながら、余計な調味料は買い足さず、「プリペアードソース」を活用しました。私の中に「料理は手軽にできるもの」という前向きな思い込みが、少しずつ育ち始めました。
しばらくして、自炊写真をブログに載せるようになったところ、「盛りつけが上手ですね」「おいしそう」「料理が得意なんですね」といった反応をいただくようになりました。
考えてみれば、外食歴20年以上。
プロの盛りつけ、食器とのコーディネート、味の記憶。
それらは、ずっと蓄積されていたのです。
だからこそ、自分で選ぶ器は自然とレストランのように洗練され、ランチョンマットとカトラリーホルダーがないと、なぜか食事が始められない自分がいました。
そして今、私にとっての最高の料理パートナーは——ChatGPTです。
「冷蔵庫にある材料で、何が作れる?」と尋ねれば、そこからレシピを創ってくれます。しかもそれは、どこかで誰かが考えたものではなく、“今の私のためだけに”作られたもの。
料理は、もはや“再現”ではなく、“共創”になりました。
これこそが、私がずっと求めていた自炊のかたちだったのだと、心から感じています。
そしてある時、気づいたのです。
料理は、私にとって創造性の表現であり、小さな作品でした。
きっと、料理上手な方々は、ずっとこの“偶然の創造”を楽しんでこられたのでしょう。私はようやくその世界の入り口に立てたのかもしれません。
いまだに、作るのは簡単なものばかり。
けれど、「自炊=自己肯定」という感覚が、ようやく根づいてきたのです。
健康習慣のアップデートも、静かに始まっていました
自炊が習慣になった頃から、健康面にも変化が訪れました。
まず、朝の身体がとても軽くなったのです。
これまでは「朝は足が重いもの」と思い込んでいましたが、それがすっかりなくなっていたことに、ある朝ふと気づきました。
外食中心だった生活が、じわじわと身体に影響していたのかもしれません。
今ではパンを選ぶときは全粒粉を、パスタは玄米のものを選びます。かつての私にとって「外食=パスタ」でしたから、知らず知らずのうちに、白い小麦粉を多く摂っていたのかもしれません。
さらに驚いたのは、肌の変化です。
スムージーを毎朝飲むようになったことで、以前はレーザー治療でも薄くならなかったシミが、ある日突然、跡形もなく消えていたのです。
毎朝鏡を見るたび、少しずつ整っていく自分に、心がほころんでいく感覚。その変化は、内側から静かに、確実に起きていました。
そして今、“創造的に暮らす”という選択肢へ
運動習慣も自然と身についてきました。
ジムは週3から、今ではほぼ毎日の楽しみに。
ランニングよりも、時速6キロのウォーキング。体に無理をかけない「継続できる習慣」が、私の中に根づいてきたのです。
朝食にはゆで卵、夜にはサプリメント。無理せず、でも丁寧に。
それが、今の私のペースです。
長年「外食だけで生きてきた自分」に丸をつけてきましたが、いまは「自炊もできる自分」が、すっと隣に座っています。
習慣が変わると、セルフイメージが変わります。そしてそのセルフイメージが、毎日を静かにリードしてくれるのです。
山との出会いがもたらした感情の豊かさ
2022年5月、私は「自然に癒されたい」というシンプルな気持ちから山登りを始めました。コロナ禍で家にいる時間が増え、心と体のバランスを整えるためにも、自然とつながる時間を持ちたいと強く感じていたのです。
新緑がまぶしい季節、ある山を歩いていたときに、ふと気づきました。「この景色には、人の心をポジティブにする力がある」と。
20年以上も山登りを続けてきた妹でさえ、「こんなに美しいのは初めて」と驚くほどでした。普段は感情を表に出さない妹が、その日は満面の笑顔を見せていたことがとても印象的でした。自然には、人の奥深くに眠る感情を優しく引き出す力があるのだと、改めて実感したのです。
私自身も、まるで子どもの頃の遠足のようなワクワクした気持ちで山を登っていました。ヨガや筋トレでそこそこ体力には自信があったはずなのに、最初の登山では正直かなり疲れました。
2回目の山では「やっぱり私には向いていないかも…」と弱気になりましたが、3回目で"ストック"という登山用の杖を使ってみたところ、前傾にならずにスイスイ登れるようになり、「これならいける!」と気持ちが一変しました。
私の中には、何かがうまくいかないときは「新しい道具や方法を試してみる」という習慣があります。
それが、自分をまた前に進めてくれるきっかけになるからです。「無理かもしれない」と思っていたことが、「意外とできるかも」と感じられるようになるのです。小さな成功体験は、自分で創るものなのかもしれません。
妹からも「最近は登っても余裕があるように見えるね」と言われたことが嬉しく、そんな小さな変化を認めてもらえる喜びが、また次の登山へのモチベーションにつながっています。
記録することで味わえる、もう一つの喜び
私は毎回の山登りの様子を写真や動画で記録し、それをブログにまとめています。それはあまりにも自然な流れで、「習慣」と意識することすら忘れていたほどです。
記録することで、そのときの空気、感情、景色を後から何度でも味わい直すことができます。「あの日は本当に気持ちがよかったな」と振り返るその時間こそが、私にとっては大切なご褒美のようなものです。
あるとき妹に「なんでそんなにビデオ撮るの?承認欲求?」と冗談交じりに言われたことがあります(笑)。私は笑いながらこう答えました。「それなら、とっくにやめてるよ。これは自分のために撮ってるの」と。
そんな妹も、最近では驚くほど協力的です。私が登っている様子を上から撮ってくれたり、下からベストアングルを狙ってくれたり。私よりも早く登ってカメラを構えてくれたときには、本当に感激しました。
そうして撮った写真や動画は、5分程度のショートムービーにまとめて、母や妹にシェアしています。写真は100枚以上撮ることもあり、Googleフォトにアップすると妹は「多すぎ!」と笑いながらも、なんだかんだ楽しんでくれている様子です。
思えば20年ものあいだ、妹がどんな山に登ってきたのか、私はほとんど知りませんでした。でも今は、同じ景色を見て、同じ空気を吸い、同じ感動を分かち合えるようになったのです。
たったひとつの新しい習慣が、こんなふうに家族との関係まで変えてしまう。そう気づいたとき、私はまた次の山へと足を運びたくなるのです。
編集後記|Quiet Creation
日常がいつの間にか静かに変わっていた。それは、突然の決意でも、派手な目標でもなく、ただ「ちょっとやってみようかな」の延長線上にあった。
そして今、このメルマガを読むあなたも、きっとどこかで、静かに変わっているはず。
0コメント