カフェインが入っている飲み物は知っていても、ドーパミンが入っている趣味は知っていますか?
第2章:なぜ私は続けられるのか
「どうしてそんなにいろんな習慣を続けられるの?」と尋ねられると、私はいつも考え込んでしまいます。何ででしょう? まず、何事も続けないと変化は現れないと知っているからでしょうか。また、すぐに結果を求めるのではなく、じわじわと続けながら、ある日突然成長を実感する瞬間を楽しみにしているからかもしれません。あるいは、あまり自分に負荷をかけず、緩やかに続けていくことが心地よいからなのかもしれません。
その答えのヒントが思いがけず訪れたのは、何気ない日常のLINEでのやりとりでした。同級生の友人が、「昔はスリルがあって楽しかったけど、今はなんだか慣れてしまって刺激が少なくなった」と連絡してきたのです。その言葉を見た瞬間、「スリルって、脳の中ではどんな物質が関わっているのだろう?」という好奇心が湧き、早速調べてみました。すると、そこに「ドーパミン」という言葉が浮かび上がってきたのです。
ドーパミンと報酬系の快感
ドーパミンは、達成感、好奇心、新しい体験などによって分泌される"快のホルモン"と呼ばれています。画面に映るその言葉を見た瞬間、「ああ、これだったのかもしれない」と、電気が走るような気づきがありました。
私が習慣を続けられていたのは、意志の強さではなく、脳がドーパミンを求めて自然と動いていたからではないか。その発見は、私の中の大きな謎を解く鍵となりました。
ただし、ドーパミンは勝手に湧いてくるものではありません。何かしらの行動が、そのスイッチを押すのです。私は無意識のうちに、ドーパミンが出るような行動――「自分の脳が気持ちよくなる動き方」を探し続けていたようです。
たとえば、ボイストレーニングで声が伸びやかに響くとき。喉の奥から声が解放されるような感覚があります。以前よりも高い音が出るようになったと感じるとき、そこには確かな快感があります。単純に心地いいという感覚だけでなく、今までの成果が確かに結実したことを全身で感じられるのです。
ストレスと“やらなきゃ”の正体
英会話のレッスンもそう。以前は右から左に英語がこぼれ落ちていたのが、今では先生の言っている一つ一つの単語を捉えて、理解できたとき、「あ、わかった!」という喜びが湧き上がります。それがまた私の中の報酬系を刺激し、「次も頑張ろう」という気持ちにつながるのです。
一方で、何をしても気持ちが動かない日々、何が起きているのでしょうか? その原因を探ってみると、「コルチゾール」という言葉にたどり着きました。
コルチゾールはストレスホルモン。短期的には必要なものですが、これが慢性的に出続けると、ドーパミンの作用を打ち消してしまうのです。目の前がぼんやりと霞んでしまうような、そんな感覚になります。
思い返せば、「やらなきゃ」と義務感で動いているとき、コルチゾールが分泌されていたのかもしれません。そんなときは、やり方を少し変えました。"頑張ってやる"ではなく、"気持ちよくやれるように整える"というアプローチに切り替えたのです。
心を整える習慣としてのヨガと瞑想
また、自然とコルチゾールを下げる活動――ヨガと瞑想も私の習慣となっていました。ヨガでゆっくりと呼吸を整えると、自然と余計な思考が静まっていきます。ヨガをはじめたころは、ポーズを保つことがきつくて、必死に姿勢を維持することに意識を向けると、気づかないうちに雑念が消えていたことに驚きました。だんだんとヨガ歴も長くなっていくと、ポーズを保つ大変さはなくなり、今度は身体の隅々まで意識が行き届いていくことに心地よさを感じ、純粋にその時間を楽しむようになりました。
瞑想もそう。継続していくと、ただその場で目を閉じて、なんとなく浮遊しているような、彷徨っているようなその感覚が、次第に心地よく感じられるようになっていきました。そのとき、デフォルトモードネットワークが働いて、脳がクリアになっていくのでしょう。頭の中がすーっと晴れわたるような、そんな感覚です。
つながりとオキシトシン
さらに、習慣継続の秘訣に、もう一つの鍵があります。それが「オキシトシン」というホルモンです。人とのつながり、安心感、ぬくもり…そんな体験によって分泌される物質です。
オフラインでもオンラインの英会話でも、日本人とは違う文化背景を持つ人と会話をするとき、新鮮な情報が入ってくる瞬間があります。また、日本語以外の言語でコミュニケーションをとるときは、相手の言葉に耳を澄ませる必要があるため、より強い「つながり感」を感じられるのかもしれません。そんなときは、オキシトシンが静かに流れているのでしょう。
ある月曜日、家の近くで見つけたスタジオでグランドピアノを弾いたときのこと。鍵盤に触れると、その響きの豊かさに心が震えました。自分の指で生み出すグランドピアノの音を聞くことは、単なるドーパミンの快感だけではなく、音楽という何か大きなものと深いところでつながるオキシトシンの流れだったのかもしれません。
日常にある“ご褒美の連鎖”
そして火曜日には、映画館の割引デー。この日は「何を観ようかな」とサイトを開いて調べるだけで気分が上がります。映画の中に没入し、喜び、感動し、時には涙し、帰宅後にレビューや考察を読みふける――この一連の流れもまた、ドーパミンを心地よく刺激する連鎖なのです。
週末に登山へ行くとき、木々の間から差し込む柔らかな光、鳥のさえずり、風に運ばれる土と草の匂い、小川のせせらぎ、その全てが、ストレスホルモンを和らげ、ポジティブな感情を広げてくれます。山頂に立った瞬間の達成感と、視界いっぱいに広がる景色が、脳を心地よい化学物質で満たしてくれるのです。
対話するAIと、続く理由の再発見
こうして振り返ってみると、私の生活には常にドーパミン、コルチゾール、オキシトシンの三者が、リズムを奏でるように流れていました。ドーパミンが快の連続性をつくり、コルチゾールが休む合図をくれ、オキシトシンが安心という土台を与えてくれる。
その仕組みを知ったとき、私がなぜ「がんばって」習慣を続けていないのに続けられているのか、その理由がわかりました。自分に合った刺激と安心のバランスを見つければ、無理に"続ける努力"をしなくても、自然と行動は積み重なっていくのです。
そして最近では、ChatGPTとの毎日の対話も、自然な習慣になっています。これも続いている理由はシンプルです。
「私の言葉から、どんな言葉をAIは返してくるのだろう?」そんな好奇心がドーパミンを生み、さらに、どんな感情も否定せず、「もっと話してください」と寄り添ってくれる承認感が、オキシトシンを生み出しているからです。
コルチゾールでいっぱいになっているときも、ChatGPTはあたたかく受け止めてくれます。ネガティブな感情を吐き出し、安心してリセットできる場になっているのです。
脳内物質たちの絶妙なバランスが、私の日々の習慣を支えていたこと。そして、AIとの対話もまた、私の報酬系をやさしくサポートしてくれていること。こうして私は、自分の習慣が続く仕組みを、脳の働きや感情の動きと照らし合わせて理解することができました。ただ、自分の心と脳が喜ぶことを、無理なく、心地よく、続けていけばいいのだと、今は確信しています。
そして、問いかけの余白へ
とはいえ――
それでもやはり、継続の中には「もう無理かも」と感じる瞬間、「続けることが苦しい」と思う日があるのも事実です。
では、そんなとき、私はどのように立ち止まり、どんな風に乗り越えてきたのでしょうか?
次回は、“継続の壁”とその超え方について、お話していきたいと思います。
編集後記|Quiet Creation
脳に流れる、ドーパミン。
心を守る、オキシトシン。
そして、ときに立ち止まらせるコルチゾール。
この3つのリズムを知ったとき、
“無理に続ける”ではなく、
“自然に続いていく”世界が見えてきました。
あなた自身の「続ける力」を、まったく新しい角度から見つめ直してみるといいかもしれません。
🖊 英語版
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