★習慣のシンフォニー Epi.17 | 〜「学び」が「共創」に変わった日〜

Co-habits are easy to co-continue. If you can’t solo-continue, try to co-continue, and empowering your co-partner makes co-continuing even co-easier.

(—A glorious mouthful of "co’s", and somehow… all true.)

この“co-”ラッシュは英会話の先生のジョークですが、たしかに“ひとりで続けられないなら、誰かと共に”というこのリズムは、私のレッスンの本質を言い表していた気がします。

2013年、私は英会話のレッスンを始めました。

いま思えば、その一歩は「英語を学ぶための手段」として、ごく自然なものでした。週に数回、テキストに沿って先生に習いながら、少しずつ語彙やフレーズを覚えていく――そんな日々が1年ほど続いた頃、私はある決断をしました。

2週間のロンドン留学。

実践の場に飛び込んでみたくなったのです。

出発前のレベルチェックテストでは「中級」という判定。英語を忘れかけていた自分にしては、悪くない結果でした。ところが、実際に現地のクラスに参加してみると……周りの生徒たちはみんな驚くほどスラスラと話すのです。私は会話のテンポにも内容にもついていけず、ひとり焦り、落ち込み、無力感を味わいながら帰国しました。

でも、その体験が私の中に小さな火を灯しました。

「このままじゃダメだ」と、本気で思ったのです。


リスニングとシャドウイングの出会い

帰国後、自分に足りないものは何だろう?と改めて見つめ直しました。

真っ先に思ったのは「リスニング力のなさ」。

聞けなければ、何も始まらない。

そんな時、YouTubeで偶然見つけたのが、イギリス人の若い男性が紹介していた「シャドウイング」という学習法でした。英語を聞いてすぐに、声に出して真似する。とてもシンプルだけど、これが耳にも口にも効いてくるのが実感できました。

レッスンの中でも、先生の発話を追いかけて発音する練習を試してみました。効果は感じつつも、ある日ふと思ったのです。

「私は、いつになったら“自分の言葉”で話せるようになるんだろう?」

その時すでに、英会話教科書のレベル6に入っていました。けれど、テキストの中の例文を覚えても、日常の中で自分の気持ちや考えを伝える言葉にはなっていなかったのです。

そこで、このロンドン留学から戻ってきた直後、私は初めて英語で日記を書いてみたんです。

あれだけ悔しい思いをしたからこそ、「自分の気持ちを、英語で残しておきたい」と思ったのかもしれません。日記とはいえ、人に見せることを前提に、なるべく正しい英語で書こうと努力しました。

最初は、単語を一つずつ調べながら、とにかく必死に書きました。

それを当時の英会話の先生に見せると、「ここ、こうした方が自然だよ」と丁寧にリライトしてくれて、私はそのプロセスがとても楽しかったのを覚えています。

この体験が、のちにメルマガを英語にしていく発想の“原点”になっていたのだと思います。

自分の中にある思いを、英語にして、誰かと一緒に磨き上げていく――

英語学習が、ただの「勉強」ではなく「表現」に変わる瞬間でした。


メルマガが教科書になった日

もともと私は、日本語で毎週メルマガを書いていました。

それを英語に訳して、英会話の先生に添削してもらえば、「伝えたいこと」を英語で表現する訓練にもなるし、実際に発信もできる。

そして2016年、私は「日英メルマガ」をスタートさせました。

最初はもちろん不安もありました。中学生レベルの英語をなんとか書いて、先生に見てもらって、直してもらって……。それでも、“伝えたいことが伝わる”という体験が、私の中で確かな手応えとなって残っていきました。

この頃から、私は完全に教科書を手放しました。

以後、英会話のレッスンでは一度もテキストを開いていません。

私にとっての教材は、自分の言葉、自分の生活、自分の思いになったのです。


学びから共創へ ― レッスンが変わった瞬間

メルマガを英語にして、先生に見てもらう――それは、思った以上にレッスンの風景を変えました。

最初は添削してもらうだけでしたが、徐々に先生は内容にも踏み込んでコメントをくれるようになりました。

そしてある日、笑顔でこう言ってくれたのです。

「ひとみさんとのレッスンは、他のレッスンと比べて面白いよ!」

私は思わず笑ってしまいました。でも、その言葉の奥にある意味を噛みしめた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなったのです。

「ああ、私たちは“教える/教わる”という関係を超えて、一緒に何かを作っているんだ」

実際、先生は編集の仕事の経験もあり、フィードバックは常に的確でした。

「このメルマガのコンセプトは何?」

「ここ、もっとシルキーなフレーズにしようか?」

そんな一言ひとことが、ただの英語学習ではなく、“表現の磨き合い”になっていったのです。

私はもともと、メルマガを発信しても読者から反応をいただくことはほとんどありませんでした。誰かが読んでくれていると信じてはいても、実際には「声が返ってこない孤独な発信」が10年も続いていたのです。

だからこそ、文章が完成する前の段階でフィードバックをもらい、一緒にブラッシュアップできるこのプロセスは、私にとって新鮮で、ありがたくて、なにより嬉しかった。

レッスンの中で、言葉が磨かれ、思いが整い、“一人で書いていた言葉”が“二人で育てる表現”になっていく――

それはまさに、共創の時間でした。


与える生徒であるということ

そんなある日、私はメルマガがまったく書けなくなってしまいました。

パソコンの前に座っても、何も浮かばない。

「ああ、これがライターズブロックってやつか」と思いながら、そのままよ夜5時半のレッスンへ向かいました。

そして、先生にこう伝えました。

「今日は何も書けませんでした。ブロックでした」

すると先生が笑いながら言いました。

「ライターズブロックになったってことは、プロになったってことだね」

その言葉を聞いたとき、私は思わず笑ってしまいました。

たしかに、「プロじゃなければブロックなんて言わない」――その通りです。

でも、その数日後、再び書けずに「今回もブロックです」と伝えたとき、先生が少し困ったような顔をされたのです。その顔を見た瞬間、私は気づきました。

「あ、私、先生の力を引き出せていない」

これまで、私がしっかり準備をしてきたからこそ、先生も真剣に応えてくださっていた。

つまり、生徒である私にも、先生のポテンシャルを引き出す役割があるのだと、その時はっきり感じたのです。

それから私は、自分の中でのレッスンに対する姿勢をもう一度立て直しました。

「受ける」だけではなく、「与える」生徒でいようと。

準備をすることで、先生の力も最大限に発揮される。

それは、ただ学ぶよりも、もっと深くて豊かな学びを生んでくれると信じています。


エンパワーメントとは、力を引き出し合うこと

私は今でも、英語がペラペラなわけではありません。

でも、自分の言葉を誰かと一緒に磨いていけるこの環境が、何よりも宝物です。

「先生に教えてもらう」のではなく、

「先生の力を引き出すような生徒でありたい」という意識。

そして、言葉を通して共に作る・育てるという関係性。

それこそが、私にとってのエンパワーメントの本質です。

学びは一方通行ではない。

与え合い、気づき合い、影響し合ってこそ、深い学びが生まれる。

それを私は、英会話レッスンの中で、そしてひとつひとつのメルマガの中で、今も体験し続けています。

📚英語版 Midiumにリンク