🌀 問いを受け取れる人、受け取れない人

ある日のALL EARSのセッションで、参加者にこんな問いを投げかけた。

「印象に残っている問いはありますか?」

そのとき、場に走ったのは沈黙だった。たったひとつだけ思い出した人もいたけれど、「まったく思い出せない」「そんなこと聞かれたっけ?」という反応が多かった。


私はたくさんの問いの記憶があるから、何がどう違うのか?とまた問いができた。

問いは、私の中で日々生まれ、記憶され、循環しているものだから。頭の中には、無数の問いが折り重なっていて、そのどれもが、いつか答えとして戻ってくる瞬間を待っている。

問いを聞いた瞬間、私はそれを「受け取る」。考え、咀嚼し、対話しながら、形を変えて育てていく。

でも、そうじゃない人もいる。

問いが投げられても、それに気づかない。耳に入ってきても、心までは届かない。問いが問いとして認識されないまま、通り過ぎていく。

その違いに、私は驚いた。

問いを受け取れるというのは、スキルでも努力でもない。

それはある種の「感受性」であり、「在り方」なのだ。


問いをログとして刻んでいく人。問いをすくい取って、未来へのヒントにする人。

それが、私のライフスタイルだった。

──問いは、受け取られなければ、存在しないのと同じなのか?

この夜、私はまたひとつ、問いを受け取った。