ある日のALL EARSのセッションで、参加者にこんな問いを投げかけた。
「印象に残っている問いはありますか?」
そのとき、場に走ったのは沈黙だった。たったひとつだけ思い出した人もいたけれど、「まったく思い出せない」「そんなこと聞かれたっけ?」という反応が多かった。
私はたくさんの問いの記憶があるから、何がどう違うのか?とまた問いができた。
問いは、私の中で日々生まれ、記憶され、循環しているものだから。頭の中には、無数の問いが折り重なっていて、そのどれもが、いつか答えとして戻ってくる瞬間を待っている。
問いを聞いた瞬間、私はそれを「受け取る」。考え、咀嚼し、対話しながら、形を変えて育てていく。
でも、そうじゃない人もいる。
問いが投げられても、それに気づかない。耳に入ってきても、心までは届かない。問いが問いとして認識されないまま、通り過ぎていく。
その違いに、私は驚いた。
問いを受け取れるというのは、スキルでも努力でもない。
それはある種の「感受性」であり、「在り方」なのだ。
問いをログとして刻んでいく人。問いをすくい取って、未来へのヒントにする人。
それが、私のライフスタイルだった。
──問いは、受け取られなければ、存在しないのと同じなのか?
この夜、私はまたひとつ、問いを受け取った。
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