習慣のシンフォニー Epi.20 :声と言葉の交響曲~ボイトレと英語が織りなす成長物語~

何かを学ぶには、1つの方法より3つの方法がある方が良い。

これまで英語の旅路についてお話ししてきましたが、実は同じ時期に、もう一つの挑戦が始まっていました。それがボイストレーニングです。

カラオケで英語の歌を歌う人を見かけるたび、私の心は憧れでいっぱいになりました。「いつになったら、私もあんな風に歌えるようになるのだろう」そんな想いを胸に、2010年、私はボイトレの扉を叩いたのです。


運命の出会い~個性豊かな先生との二人三脚~

選んだのは大手のボイトレスクールではなく、個人でレッスンをされている先生でした。私より5歳年上の、エネルギッシュな女性。バーでの弾き語りも手がける、まさに音楽のプロフェッショナルでした。

先生のレッスンは、想像していたものとは全く違っていました。一曲を仕上げるのに、なんと3ヶ月もかかるのです。「こう歌いなさい」と方法を教えるのではなく、「あなたの中にある良い声を見つけましょう」という、まるで宝探しのようなアプローチでした。

何度も何度も歌わせて、私自身の感覚で掴ませていく。不思議で、でも確実に変化をもたらす教え方でした。


声の変化~新しい自分の発見~

レッスンを重ねるうちに、私の声は着実に変わっていきました。音域が広がり、声に太さが生まれ、普段の話し声も自然とお腹から出るようになったのです。もともと高めの声でしたが、だんだんと安定した深みのある声へと変化していきました。

ハリウッド女優たちの低く響く声に憧れを抱いていましたが、英語を話すときの腹式呼吸に近い発音法が影響しているのかもしれません。高い声が特徴だった私にも、実は太くて深い声が眠っていたのです。年齢による声の変化もあったでしょうが、何より身体全体に声を響かせる意識が、低音域の豊かな響きを引き出してくれたのだと思います。

身体に響く声で歌うと、聴く人により心地よく届く。それは安定感なのか、倍音のような響きなのか、はっきりとは分からないけれど、ボイトレによって私の声の可能性は確実に広がっていました。最初の頃、先生が私にくれる褒め言葉は「悪くないね~」でした。でも、ある時期から「いいね」に変わった瞬間があったのです。その時、私は確信しました。「私は進化している」と。


感情を込めない歌い方~プロの秘密~

先生の教えの中で、最も印象深かったのは「感情なんて込めなくていい」という言葉でした。プロの歌には深い感情が込められているように感じていた私には、まさに目からウロコでした。

「歌う人が感情を込めているのではなく、相手に届く歌い方をしているから、結果的に聴く人の感情に響いているのよ」

つまり、いかに日本語を美しく聞こえるように歌うか、どこで息継ぎをするか、身体のどの部分に響かせながら歌うか。そうした技術的な「どう歌うか」こそが重要だったのです。


玉置浩二への理解~成長とともに深まる音楽への感性~

先日、あるボイストレーナーのYouTubeを見ていると、「プロの間では玉置浩二さんが一番歌が上手いという人が多い」という話をしていました。私の先生も同じ答えでした。

「私もいつか、玉置浩二さんが一番だと心から思える境地に達するのかな?」と疑問に思っていましたが、今では確信を持って言えます。玉置浩二さんは本当に素晴らしい。

これは、感動できるかどうかは聴く側の知識や感性にも左右されるということを意味しています。マティスの絵に感動できるかどうかは、マティスについて知っているかどうかに関係しますし、ラフマニノフの音楽に心を動かされるのも、彼の様々な作品に触れた経験があってこそです。

最近、宮沢賢治の作品にようやく感動できるようになった自分がいます。子供の頃、教科書で読んだ時は全く理解できなかったのに、今になって深く感じ取れるようになった。「私の中にも宮沢賢治がいるのだな」と思った瞬間でした。


仲間との絆~2010年代のボイトレブーム~

さて、話は少し逸れましたが、2010年からボイトレを続けられた大きな理由の一つに、「仲間を募った」ことがあります。

今でこそYouTubeで多くのボイストレーナーがレッスン動画を配信し、趣味でボイトレを始める人も珍しくありませんが、2010年当時、一般の素人が趣味でボイトレをするなんて、かなり珍しいことでした。だからこそ「先駆者として体験してみたい!」という好奇心も強かったのです。

私がブログで情報発信をしていると、クライアントさんの中にも「ボイトレをやってみたい!」という方が現れ始めました。次々と先生を紹介した結果、10人以上の方が私の先生のレッスンを受けることになったのです。


手作りライブの企画~生徒主導の発表会~

仲間が増えてきたところで、私は「ライブ」を企画しました。通常なら音楽教室で発表会が開催されるのでしょうが、先生は個人でやられているため、「生徒がライブを企画する」という形で発表の場を作ることにしたのです。

先生には伴奏をお願いし、会場費は生徒が負担する形で、2011年から2018年まで定期的に開催しました。家族やクライアントさん、知人の方々をお招きして、毎回大変盛り上がりました。

最後のライブでは、知人の元タカラジェンヌの方が『すみれの花咲く頃』を披露してくださり、プロとアマチュアの圧倒的な差を痛感しましたが、それでも幸せで感動に満ちたステージとなりました。

こうして定期的なライブ開催をモチベーションに、私のレパートリーは着実に増えていったのです。

英語の歌への挑戦~「Don't Know Why」からの始まり~

ボイトレを始めて2年ほど経った頃、ついに英語の歌に挑戦する時が来ました。最初の楽曲は「Don't Know Why」。「これが一番やさしいから歌えるでしょう」と先生にお勧めしていただいた曲でした。

確かに比較的簡単でしたが、ここで初めて英語の「リエゾン」について知ることになりました。まだカランレッスンも始めていない頃でしたので、毎回インターネットで検索して、英語の上にカタカナでフリガナを書き、英語というよりもカタカナで歌うことから始めました。


『Let It Go』との出会い~フリガナ作戦の本格化~

2014年、『Let It Go』が世界中で大ブームを巻き起こした時、私ももちろん英語版に挑戦しました。

「ア スノォ グローズ ホワイッ オンナ マントン トゥナイ」

こんな感じでフリガナを振り、英語を読まずにレッスンしたのです(笑)。今まで「イット」だと思っていた音が実は「イ」であることに初めて気づいたり、「ザ」が「ダ」に聞こえることにも気づきました。そして、発音しないで次の音につながっていく英語の特徴も理解していきました。

後から振り返ると、この地道なフリガナ作業が、後のカランレッスンにもつながっていったのだと思います。軽くしか発声していない音があることを理解していたため、カランレッスンを受けた時、その微細な音も逃さず聞き取れている自分がいました。


多言語への挑戦~意味よりも音の世界~

カランレッスンを完了した後は、フリガナを振らなくても英語の歌が歌えるようになっていました。調子に乗って、サラ・ブライトマンの『Time to Say Goodbye』に挑戦することに決めました。英語の歌だと思い込んで練習していたのですが、実はイタリア語だったのです。でも、歌うにはフリガナを振ればいいだけのこと。

さらに調子に乗って、ある映画の中で流れた「別れの曲」がフランス語で歌われた美しい楽曲にも挑戦しました。こちらも意味が分からなくても完成させることができました。

つまり、英語も意味が分からなくても、音だけ出せば伝わる。そうした精神も養われていたことで、2021年から再開したカランレッスンのプレッシャーが大幅に軽減されたのでしょう。


シンフォニーの瞬間~二つの学びの融合~

英語の楽曲にカタカナを振る作業が、英語の聞こえない音の存在を浮き彫りにし、軽く聞こえるだけで十分な英語の音を知ることで、英語を読む時のスピードも向上しました。英語の歌は、日本語英語で歌うと必ず字余りになってしまうのですから。

ボイトレと英会話レッスンが、まさにシンフォニーのように響き合った瞬間でした。

一つだけでなく、並行して学びを極めていくことの真の価値は、まさにここにあるのです。異なる分野で培った技術や感覚が、予想もしなかった形で融合し、互いを高め合う。それは人生を豊かにする、最も美しい学びの形なのかもしれません。


編集後記|Quiet Creation

どれか一つに集中することが正解と思っていた頃もありましたが、

今では、並行して学ぶことが私にとってのリズムであり、呼吸であり、生き方なんだと感じています。

大人になってからの学びって、ひとつの“正解”に辿り着くことじゃなくて、響き合う“余白”を楽しむことなのかもしれませんね。

人生のシンフォニーは、まだ続いています。

次はどんな音が加わるのか、私にもわかりませんが──


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