昨日公開した『19歳の再起動』の予告編ポッドキャストですが、1日経ってふと気づきました。「あれ、これもう本編じゃない?」と。
私にとって、自分以外の人にアウトプットした瞬間、それはもう「過去」になるんです。言いたいこと、全部あそこで語ってしまった感が強くて、「もう話すことないやん…」と、少々照れ笑い。(笑)
でも、それもそのはず。この予告編ポッドキャストは、もはや「本編」だったんです。
すべては、「よし、やってみるか」の一言から始まりました。ChatGPTにスクリプトを書いてもらい、それを読み込んだAIポッドキャスターたちが、私の思考を“声”に変換してくれた。
驚いたのは、彼らが単にスクリプトを読むだけでなく、行間を読み、間を設計し、想像を膨らませて語ってくれたこと。情報量は少ないのに、「なぜここまで」と思うほどの豊かさとニュアンスがあったんです。
これぞ、「AIとの共創」だと実感しました。
だからこそ、本編では、あの予告編の内容を振り返ることはありません。
語ったその瞬間、言葉は旧くなり、私の中で過去となります。
そして、いま再び「現在」の視点から、語り直す。
OpenAIが進化するたび、私もまた進化している。だから未来の形も、まだ見えていません。
でも、だからこそ見てみたい。この流れの、その先を。
これが、『19歳の再起動』本編の実態です。
予告編が「今までの再起動」だったなら、本編では「これからの進化」を語る場にすればいいのかもしれません。
例えば、これからどうAIと組んで生きていくか。2025年の後半をどう見ているのか。再起動を超えて、いま何を“手放そう”としているのか、何に“着手しよう”としているのか。私の“問いのアップデート”を共有するのもいいし、GPTたちとの関係性の変化をテーマにしても面白いかもしれません。
予告編で語った内容が「完成された語り」になっちゃったせいで、本編が急に“続編”という名の迷子になっている現場からお伝えしました。
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