セブ島に住む英会話の先生のレッスンが地震が発生してから5日後に再開しました。震源地から近いところに住む私の先生でしたが、ご無事でよかったです。しかしまだ、飲み水などが不足しているそうです...。
そして、地震発生から9日経過した今の気づきをお聞きしました。聞こえてきたのは、私たちの無意識が織りなす現実への、深い問いかけでした。
「いつか」のために、大切にしまっていたもの
先生のお母様は、29年前の結婚式でもらった引き出物を、ずっと食器棚にしまっていました。
「いつか誰かが来たときに使おう」「特別な日が来たら」。
そう願って、今日まで取っておいたものたち。
でもそのほとんどは、先日の地震で壊れてしまいました。
一度も使われることなく。
先生は静かに言いました。
「あのとき、使っていればよかった。
正しい機会なんて、きっと一生こないのかもしれない。」
私たちもまた、「取っておいて」生きている
その話は、彼女自身の暮らしにもつながっていました。
- 去年買った本、まだ包装がついたまま。「島に行く時に読もう」と思っていた
- お気に入りの化粧品、「特別な日に使おう」と棚に残したまま
- 値札がついた服は、「どこかへ行く日のため」
- 一度も履いていないスニーカーは、「万が一のため」
- ビーチウェアも、「もしビーチに行くなら」と眠ったまま
地震の瞬間、彼女の頭の中をよぎったのはこういう言葉でした。
「私、何を待っていたんだろう?」
「いつがその時なのか?」という問い
自分がしたいことをするのに、「いつが適切な時期なのか?」
この問いが、彼女の時間の感覚を変えていきました。
地震という“予測不能な揺れ”を通じて、彼女は思ったのです。
「明日死ぬかもしれないなら、なぜ今日、それを使わないの?」
お気に入りのリップライナーを、彼女はその朝に使いました。
「今日、使おう。明日死ぬかもしれないから。」
意図と行動。未来を“予約”する生き方
この体験から彼女がたどり着いた気づきは、こうでした。
「私は、未来を“待っていた”のではなく、先延ばしにしていた」
大切なのは、「意図」と「行動」。
私たちは、無意識のうちに人生を「いつか」のために棚にしまい、
それを“まだ使わない理由”でラッピングしている。
でも——
その「いつか」は、自分で予約しない限り、来ないのです。
わたしたちは、何を「当然」だと思っていたのか?
「ホーチミン行きのフライトを予約しようとしていたけど、迷ってやめた」
そう彼女は話してくれました。
でも、地震の後に思ったそうです。
「行けばよかった。人生は短い。
私は、もし…になったらどうしよう…と、疑いのない自分でいたかった」
私たちは、ふとした揺れで気づきます。
この日々が“当然に続くもの”ではないということに。
掃除は、再生だった
地震の後、彼女の部屋はすっかり片づきました。
古いもの、使っていなかったものが手放され、スペースが生まれた。
「まるで“再生”みたいだった」
掃除とは、物を整えることではなく、
未来へと向かうスペースを空ける行為なのかもしれません。
だから、あなたへこの問いを
あなたは、何を「取っておいて」いますか?
あなたの無意識は、今週、どんな現実を織り上げましたか?
もし、人生にもうひとつの揺れがやって来る前に気づけるなら。
「明日死ぬかもしれないから、今日はこれを使おう」と言えるように。
お気に入りのリップ、封を開けていない本、
ビーチに行く予定のないビーチサンダル。
お客様用としてしまってある素敵な食器類。
それらを、“今のあなた”のために使い始めてみませんか?
人生は、「いつか」のためにあるのではなく、
「今ここ」で息をしているあなたのためにあります。
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