「いつか」は来ない──いまを生きるというレッスン

東京の地下通路での偶然の再会から、セブ島での9,000回の余震まで──
小さな目覚めのひとつひとつが、ひとつの真実へと収束していく。
人生は、いまこの瞬間にしか起きない。



地下道で起きた共鳴

英国人の先生との英会話レッスンを終え、お茶を飲んで帰路についたその日。地下道を駅へ向かって歩いていると、見覚えのある人影が目に入った。「でも、あの方は遠方に住んでいるから、まさか」と思った瞬間、「ひとみさん!」と声がかかった。

なんと、今年の初めまで1年間セッションを受けてくださっていたクライアントさんだった。東京出張の帰り、羽田空港へ向かうところだという。スカンジナビア航空で100万マイルの旅をコンプリートした、筋金入りのマイラー。たった1時間のフライトでも、もちろんマイルで往復する。

偶然にしては出来すぎている。けれど、これは偶然ではなく共鳴なのだと思った。世界へ翼を広げた彼女と、世界への発信を始めていた私。きっと同じ世界線を旅しているのだろう。羽田方面は私の帰宅方向と同じ。お茶をする時間はなかったけれど、30分ほど語り合うことができた。


届かないところまで

翌日、1週間レンタルしたケルヒャーが届いた。部屋全体をハイスペックの高圧洗浄機で掃除し、いったんリセットしたい気分だったのだ。物を持ちたくない私は、旅行のアクションカメラもレンタル派。ケルヒャーも同じ。必要なときに必要なものを、それだけを手にする。

ハンディタイプの洗浄機は持っているが、水が200mlしか入らない。対してケルヒャーは1リットル。スチームが途切れることなく出続け、豊富なアタッチメントで、頑固なレンジフードの油汚れもなぞるだけで落ちていく。マイクロファイバー雑巾が見る見る真っ黒になる。それは汚れが落ちている証拠だ。

手の届かないところまで届き、家中の白いドアを全て清掃した。いつもは水拭きで済ませていたが、スチームで取れる汚れは、まるで直接触れることのできない無意識の領域まで及んでいるような感覚がある。実際、部屋全体がワントーン明るくなった。玄関タイルの溝も、ブラシでみるみる汚れが落ちていく。

掃除をしながら、YouTubeで総裁選を視聴していた。予想を覆す結果にドラマを見た。

夕方は、オーケストラコンサートへ。辻井伸行さんのピアノ、指揮&ヴィオラはピンカス・ズーカーマン、ヴァイオリンは三浦文彰、ARKフィルハーモニックが奏でるモーツァルト。身体によいエネルギーが充電されていくのを感じた。

帰宅後1時間以内に、ALL EARSコミュニティのレクチャーを開始。掃除でスッキリし、クラシックで浄化された状態で臨んだ講座は、1時間の予定が2時間近くになった。対話講座で常に考察しているのは「問いの重要性」。この日、ついに問いの正体を掴んだ。「問いをエネルギーで説明する」ことで、受講生に深く伝わったのだ。

新総裁が言うように、私も「馬車馬」のように動いた一日だった。


9000回の余震が教えてくれたこと

一方で、気がかりなことがあった。セブ島の地震だ。震源地近くに住むフィリピン人の英会話の先生のレッスンが、2日連続でキャンセルになっていた。やはり、まだ電気は復旧していないのか。

そして地震発生から7日目。なんと、先生とオンラインがつながった。

ニュースで見た倒壊したマクドナルドは、彼女の地区だった。家は無事だったが壁に亀裂が入り、余震は9000回を超えたという。私にできるサポートは、引き続き彼女のレッスンを受け続けること。そして、話を聴くこと。

先生が復活してから3回目のレッスンで、いつものように私がMediumに英語で書いた先週の記事をシェアした。「無意識の意図が現実を創る」という内容だ。

すると彼女が尋ねた。

「これって『全てには理由がある』と同じこと?」

私は答えた。「その理由は、あなた自身の意図から始まるということよ」

彼女は考え込むように言った。「なるほど、わかった。地震が起きたとき、たくさんの気づきがあったの。今週、私の無意識は何を織りなしていたんだろう?」

そして、こう続けた。「地震のことは、ただ『ああ、起こったんだ』って受け止めたんだけど、これってどういう意味があるのかな」

「それはまず、受け止めたということ。受容は大切よね」

そこから彼女は、静かに語り始めた。


29年間、待ち続けたもの

母親が29年前の結婚式の引き出物で満たしていた戸棚が倒れ、中の食器類がほとんど割れてしまった。それは来客用に、ただ保管していただけのもの。「いつかお客様が来たときに」と29年間待ち続けたものたちは、一度も使われることなく砕け散った。

「使う機会を待つより、使うこともできたのに」

私もある時、同じことに気づいた。「お客様用のティーカップは、自分に使おう」と。それは何より、自分を大切にする在り方だ。自分の家で、自分がお客様になる。だから私は自分のために良い食器を買うようにしている。いつでもお客様が来てもいいように部屋を清掃している。いや、私が毎日の来客者なのだから。

彼女は特別な口紅を使わず、安価な口紅を使っていたという。だけれど地震の翌日から変わった。

「明日死ぬかもしれない。だから今日、これを使おう」

掃除をしていると、クローゼットから次々と「いつか」が出てきた。「いつかバカンスで読む本」はラッピングされたまま。「いつか旅行で着る水着」は何着も、タグが付いたまま眠っていた。ビーチ用の新しいスニーカーも、箱の中で出番を待っていた。

地震の直前、ホーチミンへの格安フライトを見つけていた。ずっと行きたかったベトナム。でも彼女は予約しなかった。

「もし休みが取れなかったら」「もし何かが起こったら」

疑いの気持ちが湧いてきて、ボタンを押せなかった。

そして今、彼女は思う。「予約すべきだった。人生は短いのだから」

「いつ」が適切なタイミングなのか

「私がやりたいことをするのに、いつが適切なタイミングなんだろう?」

彼女の問いは、私たち全員への問いでもある。

28歳の彼女は言った。「2年後には30歳になる。やりたいことを疑わずにやるべきだった。何かのために取っておく必要なんてなかった」

人間は、何かを「何かのために」取っておく生き物なのかもしれない。特別な日のために。大切な人のために。いつか来る完璧な瞬間のために。

でも、その「いつか」は本当に来るのだろうか。

私には積読がない。今必要だから買う。「未来に必要になるかもしれない」で物を持っていたら、ずっと「必要になるかもしれない未来」を生きることになる。それが意図であり、それが現実になる。


生まれ変わるように

「地震の後、全部掃除したの。今、私のテーブルはとてもきれいよ。メイク道具も整理した。以前はすごく汚れていたのに。まるで生まれ変わったみたい」

彼女の声は明るかった。

「私たちって、何か悪いことが起こらないと気づかないのかもしれない。私、人生を当たり前だと思っていたんだなって」

先生がご無事で本当によかった。そして彼女は地震によって、「今を生きる」ことを身をもって掴んだ。

「私、今日からもっと意図的に生きる。やりたいことを先延ばしにしない」

彼女の決意が、画面越しに伝わってきた。


いつかは、こない

きっと「今を生きる」ことは、みんな知っている。けれど無意識では「今を生きていない」ことを、いろいろとしているのかもしれない。

偶然の再会も、徹底的な掃除も、音楽による浄化も、地震を経験した先生との対話も。全てが「今を生きる」という一本の糸でつながっていた。

特別な日のために取っておく口紅。いつか着るための水着。いつか読む本。それらは全て、「今」を生きることを先延ばしにしている証拠だ。

ケルヒャーで届かないところまで掃除したように、無意識の領域にまで光を当てる。そして問う。

「私は今、本当に生きているだろうか?」

答えは、今日使う口紅に、今日読む本に、今日予約する旅に宿っている。

いつかは、こない。

あるのは、今だけだ。


✒英語版



📝編集後記

フィリピンの英会話の先生が、震源地に最も近い地域にお住まいだったと知り、無事を確認できて本当に胸をなでおろしました。

レッスンの中で先生が語ってくれたのは、「地震を通して、未来のために買っていたものや、“本当はやりたかったのに後回しにしていたこと”に気づいた」という体験でした。

それはまさに、「今この瞬間を生きる」ということの本質を突く気づき。

私自身も、その言葉を聞きながら、日々の選択ひとつひとつが、未来そのものを形づくっているのだと改めて感じました。