先日、今年最後の1D1U Campが終了しました。
今回の21日間は、
「何か新しい自分になる」時間ではありませんでした。
むしろ、
もうずっとそこにいた自分を、思い出しながら生き直す
そんな時間だった、という言葉がしっくりきます。
頑張って変わろうとしたわけでも、
目標に向かって自分を作り替えたわけでもない。
ただ、
無理に力を入れるのをやめて、
頭だけで理解していたことを、
少しずつ身体の感覚にまで降ろしていく日々。
迷ってもいい。
決めなくてもいい。
揺れても、戻ってこられる。
その前提の中で21日間を過ごしたとき、
ある参加者の中に、静かに定着していった感覚がありました。
「私はもう、十分ここにいる」
変えようとしなくなったもの
この21日間で、
彼女が変えようとしなくなったものは、とても象徴的でした。
それは、
自分の在り方そのもの。
・もっと良くならなきゃ
・まだ足りない
・ここじゃない気がする
一見「前向き」に見えるこれらの感覚は、
実は常に微細な修正欲として、
身体のどこかに力を入れ続けていたのかもしれません。
それを手放したときに連れてきた安心は、
ポジティブな高揚ではなく、
「今ここに立っていて大丈夫」という、
身体レベルの了解。
説明も証明もいらない、
地面の安定感でした。
自然に、やらなくなっていたこと
気づいたら、
ある人はいくつかのことを自然にやらなくなっていました。
・進んでいるか
・正しいか
・意味があるか
・評価されるか
外側の基準で自分を確認すること。
それをやめたことで始まったのは、
怠惰でも無関心でもなく、
時間・流れ・感覚への信頼でした。
- 相手の機嫌をうかがわない。
- 相手の感情や責任を背負わない。
それは冷たさではなく、
「相手には、自分で生き抜く力がある」
という信頼だったのです。
一番静かに確定した感覚
このキャンプを通して、
一番静かに、しかし確かに確定した感覚。
それは、
「もう探していない」
という状態。
喜びでも高揚でもありません。
深呼吸のあとに残る、
動かなくても崩れない静けさ。
何かを得たというより、
探し続けていた手が、そっと下りた感じ。
「受け取る私」で暮らすということ
もしこの先、
「受け取る私」のまま暮らすとしたら。
もう確認しなくていいことが、
はっきりしてきます。
・足りているか
・許されているか
・進む資格があるか
・次はどこか
確認しなくても、
世界はちゃんと続いていて、
思っていたよりずっと、やさしく反応してくれる。
世界は、
私が思っていたよりも、
もっと信頼していい場所だった。
この感覚が、1D1U LANDへつながった
今回の1D1U CAMPで起きていたのは、
「変化」ではありません。
元の位置に戻るという体験でした。
そして私自身、このプロセスを何度も目撃する中で、
ひとつの確信に至りました。
在り方は、
一度わかれば終わりではない。
日々の状態によって、
入る場所が違う。
だから、
同じ21日間でも、
入る入口を選べる場所が必要だと。
それが、
新しく設計し直した
1D1U LANDです。
夢の中に、先に住む場所
1D1U LANDは、
在り方を見つけて終わる場所ではありません。
見つけた在り方を、
日常で試し、
言葉にして報告し、
身体に定着させていく場所。
変わらなくていい日があってもいい。
何も起きなかった日も、大切。
それでも身体は、ちゃんと学んでいます。
「この未来は、思っていたほど、危険じゃない」
今回の感想は、
そのことを、とても静かに教えてくれました。
2026.1.19 新月から
1D1U LANDがはじまります。
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