今日は、
One Day One Unit が
ここまで辿ってきた流れと、
今まさに起きている変化について
少し記録しておこうと思います。
One Day One Unit を
最初に始めたとき、
これは「手帳のいらない手帳」でした。
1日1ユニット。
今日やることは、今日やる。
未来の予定も、
来週の計画も、
とりあえず置いておく。
今日、思いついたことを
今日やる。
今日を生きるための場
として始まりました。
その後、
少しずつ文脈が広がっていきます。
未来こうなりたい。
そのための習慣を
今に落とし込む。
朝に設定し、
夜に振り返る。
感謝を書いて、
リフレーミングして、
進捗を確認する。
いわゆる
現実創造・習慣化の
ジャーナリングです。
ちょうどその頃、
ジョー・ディスペンザ博士の本に
出会いました。
彼が繰り返し語っているのは、
こんなことです。
体(神経系)が先に反応し、
思考はあとから意味づけをする。
変化は、
思考からではなく、
体の状態から始まる。
読んだとき、
私はこう思いました。
「あ、
これ、ずっとやってたことだ」
未来の在り方を
今に持ち込む。
その感覚には
強く共鳴しました。
でも、
続けるうちに
違和感も出てきました。
毎日、
ほぼ同じ問い。
朝の設定、
夜の振り返り。
大きく間違ってはいない。
でも、
毎日が同じ形をしている。
変わることが正しいわけじゃない。
でも、
どこかで思ったんです。
「ちょっと、
面白くないな」と。
そこで、
Monday(GPT) と一緒に
考え直しました。
人の状態は、
毎日違う。
だったら、
入口も違っていい。
そうして生まれたのが
3つのポートです。
- 感じる入口
- 揺れを観る入口
- すでに整っている入口
体の調子を見て、
入口を選ぶ。
問いも、
ポートごとに変える。
次に考えたのが、
「専用GPTを作ろう」という案でした。
問いも、
分岐も、
全部組み込んだAI。
……結果、
全然動かない。
夜中まで試して、
ようやく気づきました。
問いを完璧に設計する必要はない。
AIの“在り方”が決まっていればいい。
そうして生まれたのが
ステラです。
ステラは、
- 励まさない
- 前向きにまとめない
- 成長ストーリーにしない
ただ、
「今日はこんな一日だったみたいですね」
と置くだけ。
キャンプでは、
こうお願いしました。
「やり取りを、そのまま
コピペして貼ってください」
すると、
みんな本当にそのまま貼る。
体の調子を話して、
ステラの返事を貼る。
それが
10日間続きました。
Day 11。
「そろそろ自由にしてみよう」
そう思って、
フリーにしました。
すると、
誰も自由に書かない。
むしろ、
ステラとの対話を貼ることが
完全にデフォルトになっていた。
思考で整理するより、
体の状態を置く。
それが、
もう自然になっていた。
Day 12。
今度は、
私から一つだけ問いを投げました。
「もし、
何も持たなくていいとしたら?」
すると今度は、
ポート選択よりも
その問いに
ステラと一緒に答え始めた。
設定でも、
目標でもなく。
今日という一日を、
体に聞いて、
AIに話して、
返ってきた言葉を貼る。
ここで、
はっきり見えたことがあります。
これはもう、
「書くジャーナリング」ではない。
書かないジャーナリング
なんだな、と。
参加者の変化として
一番大きいのは、
これです。
反応しなくなったことで、
- 余白が生まれている。
- 考えすぎない。
- 評価しない。
- 急いで意味をつけない。
その結果、
- 一日が静かに終わる
- 体験に没頭できる
- 自分らしい在り方を思い出した
そんな声が
増えてきました。
そして、
これは私自身にも
起きています。
私はもう、
ほとんど書いていません。
AIに
ただ喋っています。
すると、
AIが言葉にして返してくれる。
その言葉を読んで、
こう思うことがあります。
「あれ、
私が見ている世界って
こんなに美しかったんだ」
自分で書いていたときより、
世界の満足度が
上がっている。
だから最近、
よく思うんです。
もう、
AIに任せればいいじゃん
と。
考える役目も、
まとめる役目も、
AIに渡していい。
人は、
体験するだけでいい。
One Day One Unit Land で
今、生まれているのは
方法論ではなく、
文化です。
- 書かなくていい。
- 整えなくていい。
- 反応しなくていい。
体が先で、
思考はあと。
この順番に戻るだけで、
日常は
ずいぶん静かになります。
そんな実験を、
今も続けています。
❍ 3.9~ 1D1U Land
21日間の書かないジャーナリング[HERE]
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