今、本を書いている。
傾聴、質問、フィードバック、構造。
そんなことを書き続けていると、日常の中でも、同じことが何度も見えてくる。
最近あらためて思ったのは、
人は現実を見ているつもりで、実は現実を見ていないことがある、ということだった。
先月、母や姪たちと家族旅行に行った。
母はいつものように、電車の時間、バスの時間、レストラン、電話番号、タクシー会社まで、ぎっしりと調べていた。
旅行のしおりのようなメモ帳ができていて、準備は万端だった。
実際、旅はかなりスムーズに進んだ。
私も全体の流れは把握しつつ、途中で何か変わったら、その場でChatGPTに相談して決めればいい、くらいの感覚でいた。
二日目、帰りの特急の時間は決まっていたので、それまでに最寄り駅へ戻る必要があった。
母の計画では、帰りはタクシー一択だった。
ところが、現地でタクシー会社に電話すると、「もっとわかりやすい場所にいてほしい」と言われた。
そこで私たちは、近くのミュージアムまで歩いて移動し、そこへ来てもらうことにした。
歩きながら別のタクシー会社にも電話したが、日曜で混んでいて、なかなかつかまらない。
ようやく一台確保できて、七人いるから、最悪一度往復してもらえばいいか、という話になったそのとき、姪がバス停を見つけた。
「バス、来るみたいだよ」
時刻表を見ると、十五分後にバスが来る。
それで、タクシー組とバス組に分かれればいいね、ということになった。
ところがそのとき、母が「いや、それはありえない」と言い出した。
自分が調べた中には、そこにバスはない。
だから、この張り紙のほうが間違っているように感じたのだと思う。
でも、現実には、目の前に時刻表があり、バスは実際に来た。
この出来事をあとでChatGPTに話したら、こんなふうに整理してくれた。
計画を立てる人にとっては、自分が調べた通りに進むことが「正しい」。
一方で私は、計画も把握しているけれど、その場で起きたことが正しいこともある、という前提で動いている。
言われてみて、たしかにそうだと思った。
調べること自体は悪くない。
準備することも大切だ。
でも、調べすぎると、過去に集めた情報のほうが「正しい現実」になってしまうことがある。
そうなると、目の前に新しい現実が現れても、受け入れられなくなる。
この話をALL EARSのコミュニティでシェアしたら、
「私もお母さんタイプかもしれません」
「調べすぎると、現実が見えなくなることがあります」
と言う人がいた。
よくわかる。
昔の私もそうだった。
計画通りにいかないとイライラして、目の前で実際に起きていた楽しさよりも、
「予定通りに回れなかったこと」のほうに意識が向いていた。
でも、妹に
「なんでそんなにイライラしてるの」
と言われて、はっとしたことがある。
それ以来、私はあえて、計画を立てすぎない旅もしてきた。
ヨーロッパの一人旅でも、
「ここだけは行く」と決めて、あとはその場で考える。
そんな旅を、何度もしてきた。
すると、不思議と、その場その場で次の行動が決まっていく。
ハプニングが起きても、現実を見て選ぶことに慣れていく。
そしてたぶん、面白いのはその先だ。
現実のほうを見て動いていると、思いがけない発見や出会いが入ってくる。
計画通りではないのに、かえってそっちのほうが楽しかった、ということが起きる。
大阪のクライアントさんにも、こんなふうに言われたことがある。
「ひとみさんと一緒にいると、流れに身を任せても全然心配なくて、いつもハプニングとミラクルが起きますよね」と。
たぶんそれは、ただ運がいいということではなく、現実に対して余白があるということなのだと思う。
計画しか見ていないと、新しく起きていることが入ってこない。
でも、現実の声を聴いていると、そこに別の流れが現れる。
たぶん、構造は変えられる。
調べすぎて現実が見えなくなる人も、少しずつ、現実の声を聴くほうへ変わっていける。
事件は会議室で起きているんじゃない。
現場で起きている。
あの台詞の通りだ。
人生も同じなのだと思う。
頭の中で起きているのではなく、現実はいつも目の前で起きている。
だからこそ、必要なのは、正しいやり方を全部知ることよりも、いま何が起きているかを受け取れることなのかもしれない。
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