どうしたら成長を感じられるんでしょうか?

 先日のプチセミでは、ディスカッションを通して人との違いを発見し、自分にない視点に気づけたそうです。その後、これまでと違う視点を持って聴くことができ、相手に伝えることができたことで、自分の変化、成長を感じられたそうです。

 今回は、人との違いから発見につながったようですが、よく人と比較をしてしまい、自分はだめだ…と、そこで思考停止して進んでいないと感じるときもあるそうなのです。

 人と比較をすることで、自分との違いに気づく。そのとき「私は出来ていないからダメなんだ」と取るのか?「これからそうなれる可能性があると発見できた」と取るのか。
 「私はダメだ…」と自分を責めることでネガティブな気持ちになって、アクセルと同時にブレーキをかけることになるのなら、「これからそうなれる可能性がある、どうやればそうなれるのかな?」と思った方が、気持ちが楽になって、その境地になれるように試行錯誤の行動へとつながるでしょう。

 クライアントさんは、先日のメルマガの「当たり前のことを圧倒的にやる」について、「自分ももっとやれるのにそこまででいいの? という感じになることがある」と思ったそうです。
 今は、いろいろとしている気もするけれどしていないような…。そんな気持ちになっていることが多いとか。

 「3日坊主で終わる」という話がでてきました。私は、3日坊主でもいいと思うのです。やったのだから、ケーキ1つ分のカロリーくらいは消費できて、0日よりも効果がでているのですから。そう思えることの繰り返しが、結局継続を生むのではないかと思います。ここでも自分が無理なく心地よい取り方ができることで、前進しやすくなるのです。3日坊主という言葉は、自分の辞書から消しても問題なさそうですね。(笑)

 段々と話していくうちに、クライアントさんが「人のためにやってあげなくちゃ、と思う。人のために過ごす時間を増やしたい。もっとできるんじゃないかと思うんです」とおっしゃいました。
 先日のセミナー後の成功体験がそのような気持ちを湧き起こしたのかもしれません。

 しかし「やりたい」という言葉でなくでてくる言葉が「…しないといけない」「…した方が世の中的にいいから」と続いていきました。なぜ言葉にブレーキをかけている感じになっているのか? 「やりたいです」とシンプルにならないのはなぜだろう? とさらに聴いていきました。

「やりたいんですか?」

「もっとやりたいとは思っている…」

「ところで何をしようと思っているんですか?」

「人の話を聴く時間を持つことをやったほうがいいのかな…と」

「どんな風に?」

「周りの人にするとか、ボランティアでするとか、仕事としてするのか? どれか・・・」

「どれかに決めようとしているんですね。思いついたこと全部は?」

「ハイ!全部やります」
3分前のクライアントさんの発言が一気に変化したのです。
クライアントさんの答えが確定された瞬間でした。

「どれをやろうか迷っているうちに、結局やらなくなる」それが、クライアントさんの考え方の癖のようでした。それでは、「もっとやれるのにそこまででいいの?」になりそうです。

クライアントさんは続けて私に訊いてきました。
「どうしたら成長を感じられるんでしょうかね?」

「自分が成長したと感じるところまでやるしかないんですよ。私は思いついてしまったことが終わるまで寝ないです(笑)」

「堀口さんをコーチにした理由がよくわかりました(笑)」

「でしょ。(笑)小さな変化を見つけていくこと…なんてことは言いません。自分が成長を感じたと感じるところまでです」

 自分の感じ方のことなのに、他人に答えを訊いてしまうその心は、やることに関して正解不正解があるように感じている発言です。「そこが決まらないと、私はやりませんよ…」となっていそうです。
 自分のやることに正解不正解をつけてしまって、行動が起こせなくなっている人は少なくないでしょう。それでは自分のアイデアを浮かんでは消してしまっていることです。それはもったいないこと。思いついたらそれをやることが、自分の心の声に従うことなのだと思います。そして成長も感じられるのでしょう。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

今日はどんなことを思いつきましたか?