「疎外感を手放す」というセッションでした。以前から何度もこういう気持ちになったことがあり、「またか」と思ったので、考えてみたいと思ったようです。
今回、考えようと思ったきっかけになった出来事は、久しぶりの友人たちに会いに行ったとき、食事の支度など手伝いたいと思い、申し出たそうですが、やらなくていいよと言われたようです。一方で、ほかの友人は一緒にキッチンに立ち、楽しく会話しながら食事の支度や後片付けをしていたので、疎外感を感じたとのことでした。友人からしてみれば、自分はゲストだし、小さな娘もいるので、気を遣ってくれたのだろうと頭では分かっているけれど、さみしい気持ちになったようでした。
過去の出来事としては、友達が自分との約束を断り、他の人と会っていたことを知ったときや、自分は海外に住んでいて、物理的に無理とわかっていても、声をかけてもらえないことがあったときに、疎外感とさみしさを感じたようでした。
今回、考えようと思ったきっかけになった出来事は、久しぶりの友人たちに会いに行ったとき、食事の支度など手伝いたいと思い、申し出たそうですが、やらなくていいよと言われたようです。一方で、ほかの友人は一緒にキッチンに立ち、楽しく会話しながら食事の支度や後片付けをしていたので、疎外感を感じたとのことでした。友人からしてみれば、自分はゲストだし、小さな娘もいるので、気を遣ってくれたのだろうと頭では分かっているけれど、さみしい気持ちになったようでした。
過去の出来事としては、友達が自分との約束を断り、他の人と会っていたことを知ったときや、自分は海外に住んでいて、物理的に無理とわかっていても、声をかけてもらえないことがあったときに、疎外感とさみしさを感じたようでした。
「何度も感じたことがある気持ちが湧きおこるというのは、インナーチャイルドでしょうかね」とクライアントさんに尋ねると、子供の頃のことはあまりよく覚えていないけれど、3人兄弟の一番上で、「しっかりしなくちゃ」という思いや、「母親に宿題を見てもらった記憶がない」とか、「進路の相談にも乗ってもらえず…」という印象はあったようでした。
何かを相談しようと思っても「お母さん。わからないから」と言われることが多く、次第に言うことも諦めてしまったのかもしれない…と、今回の出来事ともリンクしそうな、昔からの考え方の習慣みたいなところがみえてきました。
「構ってもらえなかったから、諦めてしまったのかもしれないですね。どうせ言っても無駄だと…。ということは、やはり自分から関わろうとすることを増やすってことじゃないですか?」と私が言うと、「そうか、自分から諦めてしまっているところがあるのかもしれないですね。断られるのが怖いのかな?受け容れてもらえなかったらどうしようとか。母親が否定から入り気味だったので、何か言われるのが嫌で、何も言いたくないから、自分で解決しようってことが多くなっていったのかもしれませんね。年上に助けてもらうのが苦手です。弟の面倒はよく見ていたので、後輩とのコミュニケーションは大丈夫なんです」
「なるほど。後輩は向こうから来てくれるし、面倒みることは慣れているってことですね。年上に関しても同じように接してもいいと思いますけど、やはり心理的抵抗があるんでしょうかね」
「年上に関しては、そうですね。『お子さんの面倒を見ますよ』と言われても、社交辞令かなとか、本当に大丈夫なのかな? 悪いかな? と思ってしまうところがあり、断ってしまうこともあるんです」
「大丈夫かどうかは、相手が自分で決めるところだと思います。そう言って下さるのなら、相手の好意を受け入れましょう。相手は人を助けたいと思っているわけですし、人の役に立てることが嬉しい人は多いと思います。お言葉に甘えてとか、色々やってくれてありがとうと、受け容ればいいんですよ。自分がもてなすときもあれば、もてなしてもらう時もあるわけですし。受け取る習慣が身に着くと、ラッキーなことがもっと舞い込んできますよ!」
クライアントさんは、昔からの母親(年上女性)とのコミュニケーションのパターンが、そのまま社会でのコミュニケーションにも投影されていたのです。お母さんのようなタイプだけではありません。色々なタイプがいるのですから、そろそろ自分の在り方の可能性も広げていけばいいのではないでしょうか。
子供時代のことも関係しているのかな? となんとなくは思っていらしたようでしたが、今回のセッションで、まさにそうだったことが、無意識から顕在意識にあがってきました。
・自分がしっかりしなくちゃいけない。
・人に何かをしてもらうことが悪いように感じる。
・最初から人に頼むことを諦めてしまう。
・助けてもらえなかったことが寂しかった。
「寂しいよ」というインナーチャイルドに届いたでしょうか。相手のために役に立ちたいと思っている人はいっぱいいます。これからは、自分がそういう人たちの好意を受け入れるようになればいいのです。そして、自分がもてなす側のときは、どうしたら皆が喜んでくれるのかを考えたり、実行したりすることが楽しくなったりもするでしょう。
無意識で、即答で断る方は少なくありません。お互いさまです。そして、自分が受け取る姿勢でいると、運が良くなったように感じるでしょう。今までいろいろ受け取っていなかったことにも気づくと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
何度も味わう気持ちはありますか?
何かを相談しようと思っても「お母さん。わからないから」と言われることが多く、次第に言うことも諦めてしまったのかもしれない…と、今回の出来事ともリンクしそうな、昔からの考え方の習慣みたいなところがみえてきました。
「構ってもらえなかったから、諦めてしまったのかもしれないですね。どうせ言っても無駄だと…。ということは、やはり自分から関わろうとすることを増やすってことじゃないですか?」と私が言うと、「そうか、自分から諦めてしまっているところがあるのかもしれないですね。断られるのが怖いのかな?受け容れてもらえなかったらどうしようとか。母親が否定から入り気味だったので、何か言われるのが嫌で、何も言いたくないから、自分で解決しようってことが多くなっていったのかもしれませんね。年上に助けてもらうのが苦手です。弟の面倒はよく見ていたので、後輩とのコミュニケーションは大丈夫なんです」
「なるほど。後輩は向こうから来てくれるし、面倒みることは慣れているってことですね。年上に関しても同じように接してもいいと思いますけど、やはり心理的抵抗があるんでしょうかね」
「年上に関しては、そうですね。『お子さんの面倒を見ますよ』と言われても、社交辞令かなとか、本当に大丈夫なのかな? 悪いかな? と思ってしまうところがあり、断ってしまうこともあるんです」
「大丈夫かどうかは、相手が自分で決めるところだと思います。そう言って下さるのなら、相手の好意を受け入れましょう。相手は人を助けたいと思っているわけですし、人の役に立てることが嬉しい人は多いと思います。お言葉に甘えてとか、色々やってくれてありがとうと、受け容ればいいんですよ。自分がもてなすときもあれば、もてなしてもらう時もあるわけですし。受け取る習慣が身に着くと、ラッキーなことがもっと舞い込んできますよ!」
クライアントさんは、昔からの母親(年上女性)とのコミュニケーションのパターンが、そのまま社会でのコミュニケーションにも投影されていたのです。お母さんのようなタイプだけではありません。色々なタイプがいるのですから、そろそろ自分の在り方の可能性も広げていけばいいのではないでしょうか。
子供時代のことも関係しているのかな? となんとなくは思っていらしたようでしたが、今回のセッションで、まさにそうだったことが、無意識から顕在意識にあがってきました。
・自分がしっかりしなくちゃいけない。
・人に何かをしてもらうことが悪いように感じる。
・最初から人に頼むことを諦めてしまう。
・助けてもらえなかったことが寂しかった。
「寂しいよ」というインナーチャイルドに届いたでしょうか。相手のために役に立ちたいと思っている人はいっぱいいます。これからは、自分がそういう人たちの好意を受け入れるようになればいいのです。そして、自分がもてなす側のときは、どうしたら皆が喜んでくれるのかを考えたり、実行したりすることが楽しくなったりもするでしょう。
無意識で、即答で断る方は少なくありません。お互いさまです。そして、自分が受け取る姿勢でいると、運が良くなったように感じるでしょう。今までいろいろ受け取っていなかったことにも気づくと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
何度も味わう気持ちはありますか?
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