「批判を受けることへの恐れ」「評価されることへの恐れ」から、自分の表現活動がうまく進められないという悩みメールを頂きました。
確かに、批判を受けることの恐れから、自分の表現活動を妨げてしまうことってありますね。私もありました。毎日文章を書いているし、小冊子も書いていると、忠告や改善点や感想を言われて、落ち込んでしまったことは何度も。
こちらが、改善点を言ってほしいと求めているときは、受け取ることはできるのですが、そうでなく、いきなり知らない人から言われた場合は、本当にショックで落ち込みます。
ブログを書いていて、最初の落ち込みは、店長の頃でした。2ちゃんに「もっとファッションについて特化した方がいいのにね」と書き込みがありました。私は、店長日記なので、新商品の紹介や店長として勉強していることなどを書いていました。自分はそれが自然だから、よしとしていたつもりだったのですが…。読む方にとっては、勉強日記のほうはあまり必要な情報ではなかったようで…。私は、落ち込みすぎての反動で逆切れし、ファッションに特化することに決めました。(笑)まったく、あの頃の私は「おこりんぼう」でしたから、それが逆に勇気となっていい行動への方向へ行っていたのも事実ですが、何も怒らなくても、と今は思いますけどね。
それから、数ヵ月後、人気ブログランキングファッション1位を獲得してしまいました。あの意見のおかげです。そうやって、批判を自分の成長の糧にしてきたことはたくさんあります。
独立してからもメルマガや小冊子に関して、「誤字脱字が多くてがっかりする」というメールを頂いたり、HPを作る際には「そんなにたくさん文章を書かなくても十分に伝わるよ」と友人からアドバイスを頂いたり、改善していかなくてはいけないところが、本当にたくさんになってきました。改善を言われると「あなたはダメ」と言われている気がして、私らしさがどんどん失われていきました。
もう、何も書けなくなって、2008年『かないずむ』以来、小冊子を発表できなくなってしまったのです。しかし、今年になってクライアントさんに「堀口さんも『ひとみずむ』自分で書いてみたらどうですか?」って提案をしていただいて、3年ぶりに自分の文章を書くことになりました。
できあがったら、4年ほど相談に乗って頂いている出版社の人に、「文章が別人になりましたね!」と感想を頂きました。沈黙の3年の間は、落ち込むことの方が多かったのですが、ずっと表現することについて考え続けていたので、いざアウトプットしてみると別人のように上達していたようです。そんな風に、苦しいとか嫌とか言いながらも、毎日気にして、改善に努めて、上達へ繋がっていきました。
「批判」についてネットで調べてみたところ、
「批判とは、人や物事の誤った箇所や悪い部分を、根拠を示しながら論理的に指摘し、改善を求めることです。相手の過失や欠点、悪い点をあげつらって、感情的に責めたり、馬鹿にしたりすることは「非難」にあたります」と書いてありました。
私が、「批判」に対して怒ったり、悲しくなったりした理由は、どちらかと言うと「非難」に聞こえていたのかもしれません。でも今は、何を言われても平気です。全部、単なる「意見」に思っているし、意見と言うのは「事実と感情」が混ざったものになっている場合もあるので、自分で分解します。伝えてくる人の「感情」の部分は、その人が感じたことなので、そこは置いておいて、そこに書いてあるその人が受け取った「事実」だけを冷静に見られるようになったからだと思います。そして、その「事実」に対して、自分がどうするか?決めればいいと思っています。意外と「感情」を抜きにして「事実」だけのところを見ると、「ああ、私もそう思っていた」と気づくこともあります。そうすると、ありがとうの気持ちも自然とわいてくるのです。
また、わざわざ、その方の時間を使って、私に与えてくださることもありがたいです。「時間=命」です。なので、どんな批判や意見がきても、まずは「ご意見までお伝えいただきありがとうございます」と思えます。まず、「読む」という行為でさえ、面倒くさいこともあります。そこに「感想を伝える」というステップまで進むのは、とてもありがたいので、私も受け取りました、と示したいと思っています。そのあと、意見を採用するかは、自分が決めればいいことです。
結局、自分のために時間を割いてくださるという行為自体が、本当にありがたいことと感じています。このブログも、長々と書いているのに、読んで頂いているわけですから、本当にありがたいのです。
こう考えていくと、「批判」の恐れどころか、「相手が伝えてくれた」ことだけで、もう、ありがたいとなっているので、「恐れの解放」の仕方としては「ありがとうございます」になってしまいましたね。また、そう思えるようになると、以前より改善を要請するような意見が来なくなります。改善を繰り返して、いい感じになった頃なのかもしれないですね。または、批判訓練となったのか?(笑)自分で自分のことを批判しながらみる、客観性も育ってきたのかもしれません。
色々な意見があるほど、研磨されて、自分の美しさが出てくるのではないかと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
受け取っていますか?
確かに、批判を受けることの恐れから、自分の表現活動を妨げてしまうことってありますね。私もありました。毎日文章を書いているし、小冊子も書いていると、忠告や改善点や感想を言われて、落ち込んでしまったことは何度も。
こちらが、改善点を言ってほしいと求めているときは、受け取ることはできるのですが、そうでなく、いきなり知らない人から言われた場合は、本当にショックで落ち込みます。
ブログを書いていて、最初の落ち込みは、店長の頃でした。2ちゃんに「もっとファッションについて特化した方がいいのにね」と書き込みがありました。私は、店長日記なので、新商品の紹介や店長として勉強していることなどを書いていました。自分はそれが自然だから、よしとしていたつもりだったのですが…。読む方にとっては、勉強日記のほうはあまり必要な情報ではなかったようで…。私は、落ち込みすぎての反動で逆切れし、ファッションに特化することに決めました。(笑)まったく、あの頃の私は「おこりんぼう」でしたから、それが逆に勇気となっていい行動への方向へ行っていたのも事実ですが、何も怒らなくても、と今は思いますけどね。
それから、数ヵ月後、人気ブログランキングファッション1位を獲得してしまいました。あの意見のおかげです。そうやって、批判を自分の成長の糧にしてきたことはたくさんあります。
独立してからもメルマガや小冊子に関して、「誤字脱字が多くてがっかりする」というメールを頂いたり、HPを作る際には「そんなにたくさん文章を書かなくても十分に伝わるよ」と友人からアドバイスを頂いたり、改善していかなくてはいけないところが、本当にたくさんになってきました。改善を言われると「あなたはダメ」と言われている気がして、私らしさがどんどん失われていきました。
もう、何も書けなくなって、2008年『かないずむ』以来、小冊子を発表できなくなってしまったのです。しかし、今年になってクライアントさんに「堀口さんも『ひとみずむ』自分で書いてみたらどうですか?」って提案をしていただいて、3年ぶりに自分の文章を書くことになりました。
できあがったら、4年ほど相談に乗って頂いている出版社の人に、「文章が別人になりましたね!」と感想を頂きました。沈黙の3年の間は、落ち込むことの方が多かったのですが、ずっと表現することについて考え続けていたので、いざアウトプットしてみると別人のように上達していたようです。そんな風に、苦しいとか嫌とか言いながらも、毎日気にして、改善に努めて、上達へ繋がっていきました。
「批判」についてネットで調べてみたところ、
「批判とは、人や物事の誤った箇所や悪い部分を、根拠を示しながら論理的に指摘し、改善を求めることです。相手の過失や欠点、悪い点をあげつらって、感情的に責めたり、馬鹿にしたりすることは「非難」にあたります」と書いてありました。
私が、「批判」に対して怒ったり、悲しくなったりした理由は、どちらかと言うと「非難」に聞こえていたのかもしれません。でも今は、何を言われても平気です。全部、単なる「意見」に思っているし、意見と言うのは「事実と感情」が混ざったものになっている場合もあるので、自分で分解します。伝えてくる人の「感情」の部分は、その人が感じたことなので、そこは置いておいて、そこに書いてあるその人が受け取った「事実」だけを冷静に見られるようになったからだと思います。そして、その「事実」に対して、自分がどうするか?決めればいいと思っています。意外と「感情」を抜きにして「事実」だけのところを見ると、「ああ、私もそう思っていた」と気づくこともあります。そうすると、ありがとうの気持ちも自然とわいてくるのです。
また、わざわざ、その方の時間を使って、私に与えてくださることもありがたいです。「時間=命」です。なので、どんな批判や意見がきても、まずは「ご意見までお伝えいただきありがとうございます」と思えます。まず、「読む」という行為でさえ、面倒くさいこともあります。そこに「感想を伝える」というステップまで進むのは、とてもありがたいので、私も受け取りました、と示したいと思っています。そのあと、意見を採用するかは、自分が決めればいいことです。
結局、自分のために時間を割いてくださるという行為自体が、本当にありがたいことと感じています。このブログも、長々と書いているのに、読んで頂いているわけですから、本当にありがたいのです。
こう考えていくと、「批判」の恐れどころか、「相手が伝えてくれた」ことだけで、もう、ありがたいとなっているので、「恐れの解放」の仕方としては「ありがとうございます」になってしまいましたね。また、そう思えるようになると、以前より改善を要請するような意見が来なくなります。改善を繰り返して、いい感じになった頃なのかもしれないですね。または、批判訓練となったのか?(笑)自分で自分のことを批判しながらみる、客観性も育ってきたのかもしれません。
色々な意見があるほど、研磨されて、自分の美しさが出てくるのではないかと思います。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
受け取っていますか?
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