過去のことがよく浮かんでくる。気持ちの整理をしたい。

 過去の記憶が足かせになって、前に進めないということは少なくありません。
そこで、セッションでは、過去の記憶の再構築をすることがあります。

 ある人の悩みは、親から、自分をセーブされた記憶がよく蘇ると言っていました。「自分はだめなんだ」「やりたいことをやっちゃだめなんだ」と思っていた記憶です。それを思うととても悲しくなるそうです。

 現在の自分はどうかをお聞きしてみると、8割は、自分のやりたいようにできていると言っていました。自分でやりたいことを決めて、進めているということです。大人になれば、やりたいことに関して、自分でお金も出せますし、情報も自分で収集できます。決定も自分の責任です。自分の選択することに関して、するかしないか、自分次第で前に進めるのが大人です。

 子供の頃はどうだったのでしょうか?自分がやりたいと思ったことに関して、親にセーブされることが多かったと感じていらっしゃるそうですが、もしかしたら、親の事情と言うものがあったのかもしれません。親の考えに合わないとか、経済的に無理だとか、子供には詳しく語ってもあまり、深い意味までは分からないから、単に「ダメ」で済まされてしまうこと。それを「ダメ」と言われると、自分が悪い子だからダメなんだと、相手の事情まで想像することの難しい子供の頭では、そう整理されていくのかもしれません。

 過去を見直してみると、あの時はあの時で、誰のせいでもないと改めて見直せることも多いのです。大人の自分が、あの頃を見るとどうか?わかることがたくさんあるのです。

 私も2か月前に、過去を見直していたら、気づいたことがありました。自分が未熟だから起きた失敗がたくさんあったのですが、全部自分が悪いからそうなったと思っていました。また、悪かった部分を今は改善できたから、それでよかったというところまでは考えていました。でも、どこかで、自分のことを全否定しすぎている感覚がありました。

 知人に相談してみたら、「相手の悪いところもあったのかもしれないと考えると楽になりませんか?」とアドバイスをもらいました。相手の悪いところは、考えてはいけないものと思っていました。子供のころから「人の悪口を言ってはいけない」と言われていたので、何かが起きた時に、自分のことは見直すけど、人のことまで想像することを無意識にしていなかったのではないかと気づきました。

「相手が悪かったところもあったのかな?」そうストレートに考えることは、私にとって慣れていないことだったので、もし、私がそのときの相手の立場だったら、どんなセリフを言うだろうか、どう考えるのだろうか、を想像してみることにしました。

 すると、見えてくるものがありました。まるで、今の私からあの頃の私を包み込むようなセリフ、考えを思いつきました。ただそう想像するだけで、自分で自分を満たしてあげている感覚になったのです。

 相手が誰だったからというのは、あまり関係なく、結局、自分のことを満たせるのは自分でしかないなぁと思いました。

 自分が悪かったから、失敗したんだ。と全部自分のせいにして、自分の悪いところを改善して、過去の失敗を乗り越えてきたと思いこんでいましたが、それだけでは、感覚的には半分の消化です。未消化の部分が、どことなく、たまに痛みとして表れて、過去に引き戻されていたのですから。

 今の自分から過去を見て、過去の再構築をし、自分が満たされたと感じた時に、ひとり旅に出ようという思いつきが湧いてきたのです。本当に自分は自分のことを満たしてあげられているかどうか、確認の旅にしたかったのです。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分の物の見方についてどう思いますか?