「今を生きる」についての考察。

「何かしている時に他のことを考えたり、同時に進めたり、今を生きていない感じがよくします」、「今やっていることよりも、何かをしていても他のことが気になる」というテーマが連続でありました。

 お二人とも女性なのですが、よく女性は洗濯機を回しながら、ドラマを見ながらアイロンがけとか、器用に出来てしまうという話も聞いたことがあります。そういう作業の同時進行は、悪いことだけではなさそうですが、お二人とも「目の前のことに集中したい」とおっしゃっていたので、「今を生きるとはどういうことか?」についてセッションで話し合うことにしました。

「何かをしていても他のことを考える」。
旅行に来ているのに、仕事のことを考えているとか、私もよくそんなことをしていました。楽しい場所にいるのに、どこかプンプンしていたり・・・。どこかで違和感ありながら、どうすればいいのか? よくわかっていなかったと思います。

 クライアントさんの例は、「パートナーが帰ってきたときに、お風呂に入っていたら、きっと怒られるかもしれない」と、相手のことをとても気遣う方です。お風呂に入っていてもゆっくりできていないのだそうです。この怖れは、さかのぼれば過去の方から来ているのかもしれませんが、普通に考えてみると「お風呂に入っている時くらいは、ゆっくりしようと」と思います。
 パートナーが帰ってきてから、お風呂から上がっても「あーーーーーーー気持ちよかった~」と普通にしていたら、相手も怒るところはないと思う…と、相手を信じてみてはどうでしょうか。ここを信じられるようになったら、過去の思い込みは、すーっと手放せそうですね。

 「今」やってることを味わうことを意識する。お風呂に入ってそわそわして、考えていても、変わらないのだから。物事を同時進行するよりも、1つのことに集中してみるのです。
 逆に「1つのことしかできません」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、世の中的に、そちらの方が「劣」となっているのもおかしな話ですね。


 「今のお仕事につけたのも、あの時集中して勉強したからではないですか?」と聞いてみると、「そうでした! かなり集中していました」とおっしゃっていました。
もうすでに、「今」に集中できる感覚はお持ちのようでした。
 集中している時の脳波、θ波が出ている時は閃き、記憶力がアップするといわれています。

 「今」に集中している状態と言えば、「瞑想」はそうなのではないでしょうか?
考えが浮かんできても消していく。日常でお茶を飲みながら外を見て「ボー」とできるのも、ある意味瞑想です。
 私はこの「ボー」が苦手でした。ボーっとしてはいけないくらいに思っていました。
スピリチュアルカウンセラーに「何もしない」と言われて気づきました。

 言われた時は、一瞬、反感を感じたのですが、(まだそのころは、いい、悪いをつけがちな自分だったと思います)スピリチュアルな視点というのは、ニュートラルな視点なので、だんだんと「ああ、ただ裏を見ただけだ」と思えてきました。「裏」の側面ものぞきたくなって、「ボー」に挑戦してみました。

 2年前の9月に「与論島」への旅に出たのは、「何もしないができるようになりたい」から行ったのです。「ボー」っとする修行です。

 その時の様子を、『ひとみずむ3』の「逃悲行」に書きました。
今を生きていない私と、「今を生きる」をした私の対比が分かると思います。

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カフェについたら、深津絵里似のおねえさんが一人で営んでいるらしく、メニューには
「混雑している時はお料理が遅くなりますのでご了承ください」と書いてあった。
お客様のペースよりも、マイペースで営んでいるカフェにどことなく愛着を感じた。
「私はここで何もしないで数時間過ごすことができるのか?」
窓の外を見ると小雨が降っていた。白いギリシャ風の建物にピンク色のブーゲンビリアがとてもまぶしかった。相変わらず、ブログに載せるためと、三脚を立ててまで自分が端っこのほうに少し入るように構図を決めて、自動シャッターで写真を撮ったり、活動をしていた。オーダーしていたピタサンドとふわふわ泡立っているギリシャ風アイスコーヒーがきた。また写真を撮った。
そして、ノートを開いてみたが、何も書く気は起こらない。
「そうだ、何もしないんだ」
まだ慣れていなかった。
小雨が続いていた。自転車なので、これではカフェから出られない。
やがて1時間くらい経ってから、父と20代息子とみられる二人が入ってきた。
海が一望できる外のテラス席に座り、息子がカフェを開く「夢」を父に語っていた。
それを見た時に思った。
「私が今ここにいることは『夢』が叶っている状態だ」と。
「好きな時間に好きなところにいつでも旅行ができるようになりたい」とそういえば思っていたのだ。
わたしの幸せに気づいた。
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 与論島で「今を生きる」感覚が、ようやく分かりかけました。
街を歩くときも、本やミニパソコンを持って行くことが多く、いつもカバンが重い人でした。しかし、「今に生きる修行」のため、ポシェットにiPhone、ミニ財布だけにしたのです。ジムでのTRも、音楽を聞くのを辞めました。姪っ子と遊ぶ時も、姪っ子の世界に入り込むようにしました。「ヨガ」もポーズが取れるようにしていくことは、「今」に集中できる状態への訓練と言います。
あるクライアントさんは、「今」に集中できると、それまでは、聞こえていなかった、鳥のさえずりや、木々の揺らめきの音なども聞こえてくると言っていました。五感も研ぎ澄まされるのかもしれませんね。

 日常で生きて行きながら、「今」以外の雑念を取り払うことに意識してみると、イライラすることが、ほとんどなくなりました。
 自分の考えで頭の中がいっぱいでいると、街を歩いているとき、もしかしたら、自分の内側の無意識からの「メッセージ」が目に映るものに、反映されているかもしれないのに、そういうのも見えなくしている状態です。
 ユーミンの『やさしさに包まれたなら』の歌詞で「目に映るすべてのものはメッセージ」というのがありましたね。
 

 日本はいつ地震が起きるかわからないという、先行きの不安もあるかもしれませんが、何があろうとも「今、幸せ」でいるためには、「今」を味わうことの繰り返ししかない気がします。やりたいことは、先延ばしにせずに、「今する」事もそうだと思います。
 やってみたいけど、やっていないことを列挙して、やってみたら楽しくなると思います。いつも楽しそうな選択をして行くのです。

 また、「今」を生きること、味わうことで、自分がこんなに色々と感じる力があるのか! と、自分の内側がうんと引き出されることでしょう。感受性が高まると、味わいが深くなり、自分のこころの成長も促進されるのではないかと思うのです。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

やりたいけど、やっていないことを10個あげてみて、(思ったことから何でもよい)
早速行動に移してみましょう。