失敗をどう受け入れていくのか? 罪悪感との付き合い方についての考察。

クライアントさんが、人とのコミュニケーションの不具合で失敗をしてしまったそうで、自分が悪いところがあったと感じて、とても落ち込んだそうです。
 
 失敗からどう抜けるのか? とか、逃げたくなる気持ちや罪悪感との付き合い方など、何か考え方があったら教えてくださいと訊かれました。

 「そもそも、堀口さんも、そういう失敗ってしたことがありますか?」と訊かれたので、「それはそれは、沢山ありすぎます」と答えました。クライアントさんの話を聞いて、「それはレベル1くらいだから」と一緒に笑いました。

 逆に、失敗しているというのは、変化、成長をしている証ともいえると思います。
前進するからこそ、新しい機会がやってきますし、初めて挑もうとすれば、慣れていないので、細部まで行き渡らないことで、失敗してしまうことはあるのではないでしょうか。

 人によっては、失敗を受けとめようとするほど、自分が悪かったんだ…と、「罪悪感」が湧いてきて、とても苦しくなるでしょう。そして、逃げたくなる気持ちが湧いてしまうこともあるかもしれません。

 独立する前に『生きがいの創造』や『ブレイクスルー思考』by 飯田史彦さんの本を読んで、すべてのことは必然で起きており、学びがあるということを知りました。しかも、自分が生まれる前に、自分の魂が決めたシナリオ通り、という記述があり、ますます、起きる出来事に対して、「逃げないで、受け入れ、学びに変えよう」と私は、強く思いました。そうすれば、魂も成長できるからと。

 そう思ったら、本当に色々なことが起こるではないですか!
独立しようと思い始めてから、独立するとき、独立してから…という風に、一気に体験したことのないゾーンに、私は進むことになって、数々の失敗にぶち当たりました。

 失敗に当たるほど、「これも必要があって起きた。自分を改善しよう」と、いつも真摯に向き合うことにしました。今、向き合えば、もう2度と起こらないのだから、しっかりと。

 「私が悪いから、改善しなくちゃ」と、毎回改善をしてきました。段々と、相手と自分の境界線みたいなものが分かってきたので、失敗は少なくはなってきました。
 しかし、小さいことで、心が痛むことがたびたび重なっていたのです。たまに、誰かの片鱗に触れて、何かを言われることを繰り返していたのです。

 あんなに気をつけているのになぜだ? ブレイクスルー思考で、学びに変えているのになぜだ? と自分の中では、疑問だらけになりました。
 
 ある時、リズ・ブルボーの本を読んでいたら、ヒントが見つかりました。
「経験は受け入れても感情を受け入れていない」と書いてありました。

 ただ、学びに変えていたのは、「経験」としては受け入れていたということです。
失敗したら、「私がすべて悪かった」といつも思うことにして、改善をしました。
リズによれば、それは「経験」の部分のことか! と分かりました。

 「感情の部分」すなわち、自分を責める癖は、相変わらず続いていたのです。おそらく、学びのほかに、私が気づくべきところは、「自分を責める自分」のことだったのでしょう。

 神様は、「自分を責めるな」と私に気付いてほしくて、時たま何かサインをくれたのかと今は思っています。

 逆に「相手が悪いんだから」というタイプの人もいるかもしれませんが、ここでは「自分が悪い」と考えがちなパターンについて書いています。

 責任感がとても強い「自分を責める」タイプの人は、相手の事を想像するのが苦手なのかもしれません。「自分が悪いんだから」と、一生懸命に今度のリベンジ策を講じて次に進もうとするのではないでしょうか。

 ニュートラルに物事を考えると、「相手も自分も悪くない」です。その視点で、「相手のこと」も想像してみることです。「相手には相手の事情」があったのかもしれないですよね。
 また、相手は自分の鏡であって、お互い様なのかもしれません。相手も未熟なところがあったのではないでしょうか?

 他責にしないタイプにとっては、「相手にもっとこうしてほしかった」と考えることは難しいかもしれませんが、ニュートラルにただ考えてみたらいいのです。自分の思っている気持ちをアウトプットしてみることです。自分の心の声も聞いてあげましょう。

 そう考えることで、自分の感情も受け入れられるし、相手は自分の鏡なので、相手を通して自分を見ることもでき、経験を学びに変えることもできるのではないかと思うのです。

 これで、「学び」が完了すると思います。
 私は、自分を責めなくなったら、ずいぶん平和になっています。笑



 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分の気持ちに寄り添っていますか?