『習慣のシンフォニー』 Epi.3:与論島での気づき - 今この瞬間を生きる

最初はうまく「たそがれ」ができなくても、何度でも挑戦することが肝心だ。


映画『めがね』の世界へ飛び込む

与論島を訪れて3日目、思いがけず『めがね』のロケ地へ行くことになりました。映画の舞台となった宿を訪れると、作中に登場していた犬が、のんびりとこちらを見つめていました。さらに、『めがね』の台本やスタッフ用のしおりまで見せてもらうことができました。この奇跡のような体験は、島に住む先生と一緒だったからこそ実現したものです。

台本をめくると、あの名シーン――「たそがれる……ねぇ……」のセリフが目に飛び込んできました。思わず声に出してみると、一気に映画の世界に引き込まれるようでした。ふと、作中で妙に印象に残っていた「メルシー体操」を思い出し、とあるビーチで先生たちと再現することにしました。海風を浴びながら、キャキャと笑い合い、まるで映画のワンシーンを生きるような瞬間でした。

そのあとは、いつもの「海カフェ」へ行きました。今日のオーダーはカフェアフォガード。心地よいギリシャ風のそのカフェで、若い先生のコーチングをしました。島の人々と過ごす時間が、旅をより深くしてくれるのを感じました。

――旅は計画しなくても、なんとかなるのだと気づきました。

これまでの私は、旅はきっちりと予定を立てるものだと思っていました。でも、今回の旅ではノープランで動いてみました。その結果、思いもよらない出会いや出来事が次々と訪れました。むしろ、予定がないほうが自分らしい旅だと感じるくらいでした。


与論島最終日――「たそがれる」時間

最終日はソロトリップ。朝から編集者の方とセッションがあったのですが、意見の相違からモヤモヤとした気持ちが残りました。気分転換で海を見ながら考えることにしました。

昨日教えてもらった海岸へ向かいました。場所は海カフェの近く。自転車を借りて、のんびりとペダルをこぎました。

最終日の空は、まさに“たそがれ日和”でした。砂浜には、海に入っているカップルがひと組。それ以外に誰もいません。

「たそがれるかな。」

そうつぶやきながら、「たそがれシーン」の構図を決めて、自動シャッターをセット。波の音だけが響く静かな時間。やがて空はさらに青くなり、波は穏やかに寄せては返しました。90分ほど、ただぼんやりと過ごしました。それだけなのに、驚くほど贅沢な時間でした。

ランチタイムになり、町へ戻ると、住民たちはみんな運動会へ出かけていたようで、どこも静まり返っていました。やはり頼れるのは「海カフェ」。お気に入りの場所ができたことが嬉しく思いました。

扉を開けると、昨日と同じお姉さんが迎えてくれました。

「また来ちゃいました。」

そう伝えると、お姉さんは優しく微笑みました。料理があまりにも美味しくて、思わず「おいしいです!」と伝えると、はにかみながら「ありがとうございます」と返してくれました。

南の島ならではの、心がほどけるような時間。ここには、東京では決して味わえない感覚がありました。


旅の終わりに気づいたこと

4日目の朝、私は与論空港から那覇空港へ向かうプロペラ機『琉球エアーコミューター』に乗り込みました。フライト時間はわずか35分。那覇空港での乗り継ぎ時間は2時間ありましたが、ブログをアップしたり、メールの返信をしているうちに、あっという間に過ぎてしまいました。

機内では、ノートを広げて考え事を書き出そうと思っていました。しかし、両隣には体格のいい男性が座っていて、リクライニングする余裕もありません。仕方なく、前のテーブルを出し、前傾姿勢のままノートを広げました。

「よし、今思っていることを全部書き出してみよう。」

……が、驚くほど何も思い浮かびません。本当に何もないのではなく、何かをブロックしているのかもしれません。いや、そもそも、この狭い機内で必死に自己分析をしようとしている自分が、なんだか滑稽に思えてきました。

ふと目を閉じ、与論島での時間を思い返してみました。

私は、まったく“今”を生きていなかったのではないか。

目の前の美しい海や風景を、ただ「今この瞬間のもの」として味わうのではなく、「ブログには何を書こう?」「写真を撮らなくちゃ」と、常に記録することばかり考えていました。

未来の計画ばかり立て、「次に何をするか」を考え続ける日々。そんな自分を客観的に見たとき、はっとしました。

そういえば、最近やり取りをしていた7歳年下の出版社の男性に、こんなことを言われました。

「ひとみさんは、待てませんからね。」

そのときは冗談交じりに流していましたが、じわじわと胸に刺さります。私は待つことができない人間でした。メールは即返信が当たり前。それが成功者の証くらいに思っていました。でも、本当にそうでしょうか?

結局、自分のペースが基準で、相手のペースを想像する力に欠けていたのです――。

友人と「私たち、せっかちーズだからね」とおちゃらけて正当化していました。でも、与論島での時間を経て、私はふと友人に「せっかちーズ卒業することにしました」とメールを送りました。

……その行動自体が、せっかちそのもの。

島時間と私の時間。

その違いが、今の自分に足りないものを浮き彫りにしていました。

今までの自分とは、まったく真逆の世界を追求してみたらどうなるか?

南の島の「何もしない時間」。それこそが、これからの生き方のヒントになるのかもしれません。

飛行機の窓の外には、雲の合間から光が差し込んでいます。

まるで、これまでの自分が、これからの自分に問いかけているようでした。


■編集後記

たそがれシーンの写真と言いながら、「ポーズをとっているね」と英会話の先生に突っ込まれました。(笑)

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