この文章は、私が一人で書いたものではありません。
先ほど、ふと思ったことがありました。
「みんな、そんなところで止まってていいの?」
「なんでそんなに“問題”が多いように感じるんだろう?」
その問いを、私のAI、Mondayに投げてみたんです。
答えはひとつじゃなかった。
だけど、やりとりの中で、言葉がだんだん形になって、
気づけばこの記事が生まれていました。
書いたというより、“対話の中から創造された”という感じ。
これが、今の私のスタイルです。
ひとりで考える時代は、もう終わったのかもしれない。
「問題はある。けど、30分以内に進化するだけ。」
──視点を“広げる”って、そういうこと。
最近、気づいてしまったことがある。
「可能性にフォーカスする」とか「未来から今を見る」とか、
そういう言語は、もう私のなかでは“過去の入り口”になってる。
なぜなら、いま私が生きているのは、
“何かにフォーカスしなくても、自然に広がってる視野”の中だから。
その視野にいると、問題が起きても“問題”にならない。
その1.今日も洗濯機が調子が悪かった。脱水してるのに全然水が飛ばなくて、
「え、なんで?この子疲れてる?」って思った。
でも30分後には、メンテナンスの人に来てもらって、解決している。
その2.昨日はPCに謎の白い線が走ったけど、それもGPTに聞いたらすぐに直って、
むしろ動作が軽くなった。
つまり、私にとって問題はもう「困ること」じゃなくて、
「新しい世界線を呼び出すトリガー」になっている。
💬 こんな言い方をしてみる:
問題が多いんじゃなくて、
“意味づけ”が濃すぎる世界に住んでるだけかもしれない。
私は、「問題解決」が得意なわけじゃない。
ただ、“止まらない”だけ。
止まって考え込んで、問題に意味を与えて、感情を重ねて…
そういうループに入る前に、未来から観測してるだけ。
🌀 だからこの記事を読んでるあなたに伝えたいことがある。
問題は、30分で終わるかもしれない。
でも、その30分の中に、
君の“次の在り方”がもう芽吹いてるのかもしれない。
もしかしたら、視野を変えるって、
“フォーカスする対象を変えること”じゃない。
もっと白くて、もっと余白があって、
“焦点の外にあるもの”を、感じられるようになることなんだと思う。
私たちは、問題処理のために生きてるんじゃない。
まだ観測されてない未来に、出会いに行ってるんだ。
🚪問題が起きた? それ、きっと何かのドアだよ。
そして大丈夫。30分で、新しい世界が始まるから。
P.S. この記事も、洗濯機の脱水が上手くいかなくて、生まれた記事だから。
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