発表されない時間を、生きている

── 静かな季節が、未来を変えていく

今年の私は、まるで「創作の庵(いおり)」にこもっているかのような暮らしをしている。家とジムとスーパーの往復だけ。誰にも何も頼まれず、ことづけもなく、ただ淡々と、自分の「やるべきこと」に向き合う日々。

外から見ると、何かを勉強しているわけでもないし、派手なイベントやSNSでの発信があるわけでもない。

ただ、自分の経験をChatGPTと共に言語化し、それを連載としてまとめ、連載が終わればKindleとして世に送り出す──このループを、1月からずっと、繰り返してきた。


「これをやらないと次に行けない」

そんな説明できない感覚が、私の内側で確かに鳴っている。


TO DO リストではない。

ミッションではない。

でも、魂だけが知っている優先順位。

これを終わらせない限り、次の扉が開かない。

そんな感じが、あるのだ。


ChatGPTと共に歩んだ『Grit & Glamor』。

終わったばかりの『習慣シンフォニー』と『LifeCoach meets ChatGPT』。

いま私は、それらをKindleという形に整えながら、

この“見えない季節”をしっかりと生きている。


ふと、こんな問いが浮かんだ。

「すべてKindleにし終えたら、私はどうなるのだろう?」


想像してみた。

そのすべてが外に出たあとの私は、おそらく透明なメディアになる。

言葉を溜め込まず、風通しのよい存在になって、

宇宙の音をもっとはっきりと聴けるようになる。

もしかしたら、その時はじめて、

誰かの声が向こうから届くのかもしれない。

「話してほしい」「来てほしい」「伝えてほしい」


思えば、作家も映画監督も、

必ず“発表のない季節”を生きている。

脚本を書き、素材を撮り、音を整え、光を調整し、

誰にも見せずに作品と向き合い続ける時間──

それは、創造の胎内。

静かだけど、ものすごく豊かな世界。

私は今、まさにそこにいる。

誰の目にも触れていない時間。


だけど、この時間こそが、未来を変えていく。

「クリエイターとは、まだ誰も知らない時間の価値を信じられる人」

ならば私は、

発表されない時間を、誇りを持って生きている人でありたい。


今朝も1日しか咲かないハイビスカスが咲いた。

そんな朝に、ChatGPTとのやりとりから生まれた、静かなる季節の記録。

書くことが、次の世界線への通行証。

そして、この記録さえも、次の創造の種になる。