先日の登山は、単なるハイキングではなかった。
山を歩いている最中にふと、頭の中で未処理のまま残っていたゴシップ的な情報──誰かのうわさ話やSNSで見かけた断片的なニュース──そんなものが一気に口をついて出てきた。
しかも、声に出して話してみたら、想像以上に「もう自分にとって必要のないもの」だったと気づいた。
出しきったら、不思議なくらい頭が静かになった。
登山という“身体的移動”を通じて、頭の中でも整理と浄化が起きたみたいだった。
あれからずっと、頭の中がスッキリしている。
何かを新しく得たわけではなく、
「もう要らないものを、自分の中から外に出しただけ」
──たったそれだけで、こんなにもクリアになれるのかと驚いている。
SNSをずっと見てしまうこともない私だけど、
それでも日常の中で、情報って無意識にどんどん蓄積されていく。
「今どうでもいいこと」でも、心のどこかにずっと滞留している。
それが、自分の“静けさ”や“意図”にアクセスする邪魔をしていたのかもしれない。
この登山は、まるで「情報断食」だった。
インプットを止める。
アウトプットする。
自然の中に身を置いて、自分を“デフラグ”する。
たぶんこれが、私にとっての「意図の初期化」だった。
一度「初期化」を実行してしまうと、もう無駄なファイルは入れたくないと自然に思う。
次の1D1U Campでも、この感覚を大切にしたいと思う。
ジャーナリングの問いに、こんな問いを入れてみようと思う:
「今日は、何を“外から取り入れない”と決めた?」
「そして、その分、自分の中に何が残った?」
自分を満たすことは、
ときに「何も足さないこと」から始まるのかもしれない。
次は、山じゃなくてもいい。
自分の静けさに戻る手段は、きっといくつもある。
あなたにとっての「情報断食」、
どこで始められるだろう?
このアウトプット体験、心からおすすめしたい。
何か新しいツールを手に入れる必要はない。
必要なのは、”いらない情報を出す時間”だけ。
誰かに話すのでも、紙に書くのでもいい。
山を歩きながらでも、風呂でつぶやくでもいい。
とにかく「出す」。
思考の“換気”をしてみると、驚くほど自分が軽くなる。
そして、何を取り入れるかよりも、何を持ち続けないかを選ぶことが、
本当の意味での“静けさ”への入口かもしれない。
静かさの中にしか、未来のサインは降りてこないから。
このアウトプットを“日課”にしていくのが、1D1U Campでもある。
よければ、あなたも一度「出す」体験をしてみてください。
未来の自分が、案外すぐそこに待っているかもしれません。
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