向上心を失わないように自分を認めてあげるには、どういう言葉や問いを自分に掛けてやれば良いのだろう?

 「自分をほめる・認めることは、自分を甘やかすことにはならないか?『自分はこのままでよいのだ』と勘違いしそうで、ある意味怖い。向上心を失わないように自分を認めてあげるには、どういう言葉や問いを自分に掛けてやれば良いのだろう?」と90日コーチング6回目のクライアントさんの話したいテーマにそう書かれていました。

なんだか、昨日のクライアントさんと同じような悩みです。「安住」し続けてしまっていいのだろうか?と。
 
 ここ1年間を振り返ると、私のコーチングの一つ目のゴールは「調和のとれた心の獲得」のようです。これは皆さんに共通するところのような気がしています。今創っている『ひとみずむ4』は、提出されてきたものを拝見すると、ある意味皆さん同じ結果になっている。(笑)なので、「安住」について心配される方がでてしまうのでしょう。でも、ここから先もまだあります。自分の心が平和になったら、もっと人に何かできないか?という心が生まれてくるようです。


 私は、セッションの準備用紙を見ながら、この解釈なら、きっとしっくりくるというものが浮かんできました。

 「このままの自分でいい」と認めるのは、過去までの自分のこと。
 向上心とは、未来に向かっているもので、また別のものだと思うのです。

 クライアントさんのおっしゃる「自分はこのままでよいのだ」をイメージに表わすと、踏み台昇降運動状態です。このままでいいと言いながら、踏み台で足踏みを繰り返している…。

 「このままでいい」というのは、過去のことを受け入れたこと、すなわち過去までのことと分けて考えてみると、階段があって、これまであがってきたステップも見えるし、これから先に進もうとしているステップも見えてくるではありませんか。

 過去のことは未熟なところも色々あったけど、それはそれで学びがあったしよかったと思えているかどうか。そんな自分のことを許せているだろうか。そして、今やっていることは未来につながるという意識を持つこと。そうすると、甘やかせている、と自分と責めるずに、たまには踊り場もありながら、進めていけばいいかなと思えます。
すると、自然と向上心が出てくると思います。

 たまに、足場を確認するかのように、過去を振り返ってみる。過去の失敗も、今だから見えることがあると思います。自分も未熟だったけど、相手も未熟だったのかもしれない。お互いに悪かったわけではない。今の自分だったらこうするだろうな、そう考えられるようになった自分は、成長したな、と精神的に成長できていることについて、なにかの拍子で過去を思い出した時に、いちいち確認していけばいいのだと思います。そして、段々と「今の自分はそんな過去からできている、今の自分はこれでいい」と思える気持ちが増えていくでしょう。

 そして、これから起きることに関しては、何があっても、「これはどんな意味があるのかな?」と向き合っていこうと構えていればいいのだと思います。そうすれば、自然の流れで向上して行くでしょう。過去も認めて、今を生きれば、きっと未来はもっといいものになるのですから。

 このクライアントさんも、向上の意味でセッションを継続することになりました。
私も播磨コーチにお世話になって7年目に入ります。こんなにつながっている人は、もしかして、播磨さんが一番長いかもしれません。私に何も押し付けることはなく、反応が楽しい話し相手という位置づけです。笑 向上心は一生つきまとうんでしょうね。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

足場の確認はしていますか?